
手術直後の女性患者の胸をなめた、として乳腺外科医が準強制わいせつ罪に問われている事件。最高裁第2小法廷(三浦守裁判長、菅野博之裁判官、草野耕一裁判官、岡村和美裁判官)は2月18日の判決で、懲役2年の実刑とした東京高裁判決を破棄し、同高裁への差し戻しを命じた。
本件は1月、最高裁が下級審の判断を変更する際に法廷で検察官・弁護人双方の意見を聞く「弁論」の手続が行われた。そのため、判決が高裁判決を破棄したことに意外性はない。しかし、自ら結論を出す「自判」をせず、高裁に差し戻した理由には首を傾げざるを得なかった。
「せん妄はアルコールによる酩酊と同様」との検察側証人の証言は、最高裁により否定された
この事件では、
(1)被害を訴えるA子さんの証言は、麻酔の影響などによる「せん妄」である可能性
(2)A子さんの胸から採取した微物の警視庁科捜研の鑑定の信頼性
が大きな争点となった。
一審の東京地裁は2つの争点について、綿密な証拠調べを行い、無罪とした。検察官控訴を受けて行われた控訴審で、東京高裁は、(1)に関してさらに証拠調べを行うとして、検察・弁護側双方が推薦する専門家証人の証人尋問を実施。判決では、国際的な診断基準を用いて判断すべきとした弁護側証人を排し、せん妄をアルコールによる酩酊と同様に考える独自の手法を披瀝した井原裕・獨協医科大教授の証言に基づいて、A子証言はせん妄による幻覚ではなく、現実の体験と認定した。これが有罪判断の最大の根拠となった。
上告審で弁護側は、複数の専門家による意見書を提出し、井原証言に反論した。弁論でも、「彼(井原氏)の意見が『科学的に信頼される方法』に依拠していないことは明らか」として、その証言は科学的証拠としての価値がまったくない、と断じた。
一方、検察側は井原証言を支持する他の専門家を見つけることはできなかったようで、弁論でも「井原医師はせん妄の専門家ではないが、せん妄に関する豊富な臨床経験を有している」などと、信用性の高さを主張するに留まった。
最高裁判決は、「井原の見解は医学的に一般的なものではないことが相当程度うかがわれる」と、いささか持って回った表現ながら、事実上、井原証言の信用性を否定。この証言に基づいて、被害の訴えはせん妄による幻覚である可能性を否定した高裁判決を批判した。
争点(1)については、これで勝負がついた、といえる。つまり、A子証言に基づいて、被告人は胸をなめるなどのわいせつ行為を現実に行った、とした検察側の主張に、大きな疑義が生じたことになる。
裁判所が被告人を有罪とするためには、検察側が「合理的な疑いを差し挟む余地のない程度の有罪立証」をしていなければならない。被告人は無罪を証明する必要はなく、「合理的な疑い」が生じれば無罪となる。少なくとも、建て前上はそうなっている。いわゆる「疑わしきは被告人の利益に」がこれである。
検察の主張の土台に疑義が生じた以上、最高裁は無罪の結論を出すことができたはずだ。