馳浩が大逆転勝利の石川県知事選、異例の保守3分裂の裏にあった“森喜朗の影”
国会議員秘書歴20年以上の神澤志万です。
東北や関東甲信越で、また大きな地震がありましたね。3月16日午後11時36分頃に宮城県と福島県で震度6強、茨城県と栃木県、新潟県で震度5弱のほか、都内など広い範囲で震度3から4の揺れが観測されました。怖かったでしょうね。被災されたみなさまには衷心よりお見舞い申し上げます。
石川県知事選、保守3分裂の複雑な人間模様
3月13日には、石川県知事選挙の投開票が行われました。プロレスラーで元文部科学大臣の馳浩氏が大接戦を制したことは、ご存じの方も多いと思います。2月20日に行われた長崎県知事選挙も保守分裂の大接戦となり、新人候補がわずか541票差で3期12年の現職を破るという珍事が起きたので、今度の保守分裂選挙はどうなるのかと、注目度が高かったです。
結果は、日本維新の会の推薦を受けた元自民党衆議院議員の馳氏が19万6432票、元金沢市長で自民党金沢市議だった山野之義氏が18万8450票、立憲民主党県連の推薦を受けた元自民党参議院議員の山田修路氏が17万2381票と、本当に大接戦でした。
自民党県連は馳氏と山田氏の2人を支持し、自主投票としましたが、県連に所属する地方議員の支持は3つに分かれてしまったのです。
この選挙は永田町で大注目されていました。2月の長崎県知事選も保守分裂選挙でしたが、今回はなんと3つに分裂したので、複雑な人間模様が見え隠れして、とてもおもしろい選挙でした。
永田町で一番人気だったのは、なんといっても馳氏でしたね。昨年7月、「次期総選挙には出馬せず、石川県の知事を目指す」と明言し、進退を明らかにしていなかった7期28年の谷本正憲知事(現職では最長)を引退に追い込みました。この頃は自民党本部も馳氏の行動を支持し、「馳知事誕生」は既定路線と思われていました。
しかし、10月の総選挙後に情勢が変わりました。国会女子たちもそれぞれの選挙で忙しく、情勢をフォローしていなかったのですが、なんと自民党参議院議員の山田氏が出馬を表明し、調整が困難だというのです。神澤もびっくりでした。
森元首相vs故・奥田議員の代理戦争?
なんでこんなことになったのでしょうか……。
実は、今も何かとお騒がせの森喜朗元首相と、運輸大臣や郵政大臣などを歴任した故・奥田敬和衆議院議員(旧石川1区選出)との軋轢があったのです。当時の奥田氏は在任最長記録を持つ谷本知事を誕生させた実力者で、森元首相とは常に勢力争いを繰り広げてきました。
しかも、森元首相はずっと馳氏の後見人的な立場にいたので、谷本知事に近い石川県議会議員たちは馳氏を素直に支援できず、「反・森」の象徴として山田氏を担ぎ上げたのです。
この動きに便乗して、「保守が分裂するなら自分にも利があるかもしれない」と考えた自民系の山野元金沢市長が手を挙げ、保守3分裂となったわけです。
永田町の住人たちは馳氏を応援していましたし、元プロレスラーなので知名度もばっちりですから、東京をはじめ全国的には「馳候補楽勝」というムードが広がっていました。しかし、なんと世論調査では馳氏はずっと三番手で、かなり厳しい選挙戦になりそうだったのです。
馳氏は根回し上手で、国会議員時代に成立させた議員立法は37本とダントツ1位です。フットワークも軽く、自ら交渉相手の事務所を訪ねて調整を重ねていました。秘書たちに対する態度も丁寧なので、与野党問わず人気のある議員さんでした。
とはいえ、石川県知事選への出馬表明は少し早すぎたかなと思いました。当時は総選挙がいつ行われるか予想が立たない状況でしたから、衆議院議員任期満了の10月を前に早めに進退を表明しておかないと後進の候補者(小森卓守衆議院議員)が活動しにくかったでしょうし、現職の谷本知事が7期28年もやっているのに8期目にも欲を出している雰囲気があったので、引退に追い込みたかったという思惑もあったと思います。
でも、次の総選挙には出馬しない、という表明だけにしておいた方が良かったと思いました。馳先生らしくないな、という印象を持ったのを思い出しました。実際、谷本知事を引退に追いやった強引な印象が反感を買い、ほとんどの自民党県議が「反・馳」になってしまいました。そのせいで、本当に苦しい戦いを強いられました。
全国的な戦いに広げて逆転した馳陣営
転機は、維新が「身を切る改革」を約束した馳氏の推薦を決めたことだったと思います。勢いのある維新が「馳候補推薦」と大々的に報道されたため、選挙直前の世論調査では馳氏と山野氏が並び、山田氏も1~2ポイント差でつけるという、ほぼ横並びの状態で選挙戦に突入できたのです。長崎県知事選も、維新が新人候補を推薦したことで僅差で勝利していますから、効果てきめんでした。
しかし、序盤は苦戦が続きます。知事選の選挙運動期間は、告示から17日間という長期戦です。中盤の世論調査では、金沢市エリアは山野氏の圧勝でした。山野氏の人気は驚くほど高かったのです。元市長として、素晴らしい市政運営をしていたのでしょうね。
そこで、馳陣営は全国の支援者に向けて「金沢市に知り合いがいたら、馳浩をよろしく」と「金沢市」をキーワードに運動をはじめ、追い上げていきました。石川県内だけでなく全国に視野を広げて戦うというのは斬新でしたし、結果として奏功したので、すごいと思いました。それでも、金沢市内の開票結果は山野(9万8807票)、馳(7万0650票)と、3万票近い差がありました。
一方で、山田氏も決着がつく2時間前まではリードしていたのです。農政通で県内の農業事情に詳しく、郡部での人気が抜群だったことが証明されました。輪島市の開票結果では、山田(8584票)、馳(4369票)で山田氏が倍近く得票しています。その他、七尾市、加賀市、川北町、志賀町、中能登町、穴水町、能登町で山田氏が馳氏を上回っています。他にも大接戦の地方がたくさんありました。
そして、開票の最後の2時間は、大票田の金沢市内の開票作業の進み具合に注目が集まり、みな固唾を飲んで作業を見守りました。開票作業に携わっていたスタッフたちは、緊迫感で気絶しそうだったのではないでしょうか。
そんな中、山野氏が追い上げてきて、山田氏が3番手になり、馳氏は2番手のまま時間が経っていきました。抜群の知名度と自民党幹部総出の応援、そして維新の応援で最後に滑り込めるのか……。馳氏も、待機しながら相当緊張していたことでしょう。そして、当確の1時間前に馳氏が山野氏を数千票上回ってトップに躍り出ました。
ちなみに、知事選は総選挙の小選挙区と同じで当選者は1人だけですから、トップにならないと当選できません。でも「目指せ、トップ当選!」みたいなかけ声をけっこう聞くんですよね。いつも、すごく違和感があるので、ここに書いておきます。
とはいえ、テレビで開票速報を報じるアナウンサーが「ただ今、開票結果が出ました。馳候補がトップになりました」と伝えたときは、「トップ」という言葉を耳にしても違和感はありませんでした。
30分前の速報では山野氏がトップなのに、30分後の速報で誰がトップにいるのかわからないのですから、まるで冬季オリンピックのクロスカントリースキー競技の実況中継のようでした。
深夜に「金沢市内の開票率99%」の時点での開票速報で、やっと馳氏に当選確実の報道が出ました。まさしく辛勝です。こんなにしびれる選挙戦は、しばらくぶりでした。投票率は61.82%と前回を22.75ポイントも上回っており、石川県民も大注目の選挙だったと思います。
そして、3陣営の運動はどれも素晴らしかったです。ここでは書ききれないほどの「今までの怨念」ともいえる出来事がそれぞれにありましたが、馳新知事には、過去は忘れて石川県民の未来だけを見据えて進んでもらいたいです。勝利の喜びに浸っていないで、4年後の選挙戦を見据えて活動しないと、また同じような混乱の選挙戦をしなければならなくなります。
(文=神澤志万/国会議員秘書)
『国会女子の忖度日記:議員秘書は、今日もイバラの道をゆく』 あの自民党女性議員の「このハゲーーッ!!」どころじゃない。ブラック企業も驚く労働環境にいる国会議員秘書の叫びを聞いて下さい。議員の傲慢、セクハラ、後援者の仰天陳情、議員のスキャンダル潰し、命懸けの選挙の裏、お局秘書のイジメ……知られざる仕事内容から苦境の数々まで20年以上永田町で働く現役女性政策秘書が書きました。人間関係の厳戒地帯で生き抜いてきた処世術は一般にも使えるはず。全編4コマまんが付き、辛さがよくわかります。