東京都千代田区丸の内に本社を置く、三菱グループの総合商社・三菱商事。伊藤忠商事、三井物産、丸紅、住友商事とともに5大商社と呼ばれる同社は、鉄鉱石など資源系事業から食品などの消費者向け事業まで幅広い事業を世界規模で行う企業である。コロナ禍で業績は下がったもの、2021年度3月期の売上高は約12兆8845億円、純利益は1725億円と総合商社トップの業績を叩き出している。
そんな三菱商事は、社員の年収や退職金も破格の額だと噂されている。8月にTwitter上で「転職サイトの中の人|年収1,000万円図鑑」さんが、三菱商事の総合職の年収は推定1900~2300万円、退職金は9200万円にも上ると投稿し、話題に。なかには「ツイート主の投稿よりも、三菱商事の退職金は多い」「新興国に駐在するとさらに生涯賃金が増える」などの反応もみられる。
そこで今回は、経済評論家で百年コンサルティング代表の鈴木貴博氏に、三菱商事の年収や退職金事情について聞いた。
三菱商事はなぜ給料が高いのか?
鈴木氏は「結論から言うと三菱商事の年収や退職金が高いのは事実」だと語る。
「三菱商事を含む大手総合商社は、昭和の企業の常識だった終身雇用、年功序列という日本型のビジネスモデルが唯一生き残っている業態です。ですから出世のペースは遅い代わりに順当に歳を重ねていけば、賃金は自然と上がってきます」(鈴木氏)
多くの国内企業が相次いで年功序列を廃止するなか、三菱商事が年功序列を維持しつつ、高い給与や退職金を支払えるのはなぜなのか。
「三菱商事のような総合商社は、貿易だけではなくアメリカの投資ファンド的な事業を導入しています。つまり、リスクのあるビジネスにも巨額のお金を投資し、利益を期待できれば迷わず事業開発への投資をしているんです。
さらに言うと、ただ株主となって事業を進めるアメリカの投資ファンドとは違い、日本の総合商社はグローバルな貿易圏を一から作り、権益を確保することに長けているのです。ウクライナ侵攻で今話題となっている『サハリン2プロジェクト』は、三菱商事、ロシアの国営ガス会社ガスプロム、三井物産の4社が出資する石油・ガス複合開発事業ですが、プーチン大統領が権力を掌握した頃から、三菱商事がロシア政府と粘り強く交渉して進めてきた一大事業の例といえるでしょう。
それから、優秀な商社マンをどんどん現地に投入していくことも日本商社ならではの強み。現地で合弁会社を作って、力のある日本人ビジネスマン主導のもと、開発、オペレーションを指揮しています。こうした投資ファンド的な事業の成功により、三菱商事は損失のある事業をカバーし、大量の高齢社員に対しても相応の給料や退職金が支払えているのです」(同)
そして、三菱商事の経営が驚異的だといえるのは、その長期的な戦略にあると鈴木氏は力説する。
「現在の社長・中西勝也氏が入社した85年頃の三菱商事は貿易が主体でした。しかし、当時は大手企業が現地に駐在員を派遣し、直接原材料を交渉する手段が確立されつつあったので、“商社はいらなくなる”といわれていたのです。そこで中西氏の世代から、貿易だけでは商社は生き残れないということで、新しいビジネスとして投資事業を開始。足掛け40年ほどで成功して現在に至っているので、先見性と知略に溢れた戦略だったといえるでしょう」(同)
三菱商事独特の人事マネジメント
優れた事業モデルのもと、業績を上げてきた三菱商事。年功序列によって年収は上がるが、インセンティブもあるという。
「三菱商事の新卒社員は、約6年周期で日本と海外を転勤していきます。入社から6年間は日本でビジネスの基礎を学び、その後、世界各地にある取引先に6年間ほど駐在します。その後再び日本で6年間ほど仕事を続け、40歳頃に責任者として海外に異動を命じられるというのが、よくあるケースでしょう。
合計10年以上も海外での生活が続きますが、期間中は基本給に加え、駐在手当をもらえます。その合計金額は、駐在期間中に堅実に貯金をしていけばマイホームの頭金にできるぐらい大きな額になるそうです。しかもそれは一部の幹部候補生だけではなく、多くの社員がこうしたキャリアに進むため、三菱商事のほぼすべての社員はそのような厚遇を受けていると考えていいと思います」(同)
また鈴木氏は、定年退職まで働き続ける割合も多いと推察する。
「部長、本部長クラスになれる優秀な社員は、2000万~3000万円ほどの年収も夢ではありません。一方、出世コースから外れた年収1500万円ぐらいの“働かないおじさん”も特に肩叩きに遭うことなく、働き続けられる会社だと思われます。
会社という組織は、組織に大きく貢献する層が2割程度、そうでもない層が8割程度といわれていますが、総合商社では社員一人ひとりが平等に評価されるシステムとなっています。ですから他の企業の社員からすると、三菱商事は高給取りで終身雇用という組織として羨ましがられるでしょうね」(同)
たしかに、安定して裕福な会社員生活を送れそうな企業ではある。だが、自分たちの稼いだ売上が中高年社員の高額給与や退職金に回されることが、我慢ならないという若手社員もいるのではないだろうか。
「もちろん、上層部に疑問を抱き、内心複雑に思っている社員は多いでしょう。ですが、三菱商事は社員全員を主役に仕立て上げるような人材マネジメントが特徴的な会社でして、社員たちへのガス抜きもとても上手なんです。通常、大きなプロジェクトを100人単位で動かしていく場合、キーマンとなる社員はだいたい2、3人でその他の人間はサポーターになることが多いですよね。
ですが、三菱商事はプロジェクト内の実情は他社と同じようなものの、キーマンもサポーターも含め全員が主役のような扱いをされます。そのため、三菱商事では巨大プロジェクトに関わった社員全員が、“自分がいなければプロジェクトは成立していなかった”と、真剣に思い込んでいる節があるんです」(同)
退職していく社員は2パターン
とはいえ、やはり辞めていく層も一定数はいるという。
「最近は緩和しているかと思いますが、仕事自体は普通に相当きついようです。20~30代の若手に話を聞くと、昼は会議に参加、夜はアメリカの取引先とテレカンファレンス、そして隙間時間には山のような報告書を作らなければいけないなど仕事が山積み。この業務量に耐え切れず辞めていく人は少なからずいるでしょうね。
またビジネスパーソンとして大成したい人は、総合商社の遅い出世ペースを待てず退職することも少なくありません。サントリーホールディングスの現社長である新浪剛史氏は三菱商事出身ですが、40代前半のときに立ち上げた三菱商事内のローソンプロジェクトに専念するために退職。そのまま残ればいずれは三菱商事の経営に携わるようなポジションが確実視されていた新浪氏ですが、早くから経営に携わりたいという理由から退職を決意したそうです。新浪氏と同じように野心的な人は、三菱商事の古い体質に我慢ならず、外に出ていくのではないでしょうか」(同)
業務はハードでも、高給で終身雇用がなかば約束されている三菱商事。大多数の人から見るとかなり良い待遇にあるといえるが、社員のなかでも、会社の管理下に置かれるか、転職・独立してビジネスパーソンとして成功を企てるのか、目指すキャリアは分かれるようだ。
(取材・文=文月/A4studio)