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『どうする家康』はどうなるのか?家康を“か弱きプリンス”として描く挑戦とリスク

文=井戸恵午/ライター
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「どうする家康公式サイト」より
どうする家康公式サイト」より

 初夢と言えば「一富士・二鷹・三茄子」を見るのが縁起が良いと言われるが、その理由の一つとして挙げられるのが、これら三つはいずれも徳川家康の好物だったからというものである。江戸後期に松浦静山によって書かれた随筆集『甲子夜話』の中で、家康の子孫である松平定信が語ったところによれば、いずれも駿河において高いものとして家康が嘆いたものだと逆に否定的な話となっており、逸話一つとってもさまざまである。

 さて、本年のNHK大河ドラマは、この徳川家康を主人公とする『どうする家康』が放映される。大河ドラマとしては62作目となる。脚本は『リーガル・ハイ』『コンフィデンスマンJP』を手がけた古沢良太氏のオリジナルとなるらしい。2020年に放映された『麒麟がくる』から二年置いての戦国ものであり、当該期はファンも多く、楽しみにされている方もおられるのではないだろうか。そこで今回は「どうなる家康」とばかりに、本作の見どころや気になっている点について指摘していきたい。

「か弱きプリンス」として描かれる家康

 まず挙げられるのは、本作が新たな家康の物語であることだ。徳川家康については苦労と忍耐の人としての描かれ方が中心になっており、その点では山岡荘八の長編小説を原作に作られた1983年の『徳川家康』がその代表的なものの一つであろう。家康を演じた滝田栄氏のキャラクターが劇画調というか、いかにも苦労人という感じでゴリゴリと重厚な印象を与えてくる。ただ、主として昭和の家康像というものは多かれ少なかれこのようなもので、さもなくば老獪な狸親父として描かれるのが一般的である。

 これに反して、今回の『どうする家康』で松本潤氏が演じられる家康は小綺麗で軽妙である。従来のイメージを覆す「か弱きプリンス」として描かれるとの由で、オタク気質もあるとの話もあり、いかにも今風の青年をイメージさせられる。これは一つの挑戦であると言えよう。従来型のそれと異なる令和の家康像を描いてみせるという話であるからだ。ただ、それは苦難の道にほかならない。これまで共有されてきた家康像から大きく異なる場合、これに違和感を持つ人の方が多いのではあるまいか。それは反発心となって跳ね返り、アンチを生み出す恐れがある。

 また、特に戦国ファンは思い入れが強い傾向がある。気に入らぬとなれば、史料やそれに基づく「史実」とされる事柄をもって、大いに叩いてくるのではないかと思う。従来の家康像は「史実」はもちろんであるが、逸話の類や講談・小説などの創作物などを取り込みながらキメラ的に構築されたものである。これをどう退治するような説得力を展開するのかというのが、本作の見どころでありキモであると言えよう。

 次に、決断の物語であるということに注目したい。その題名にもあるように、本作は家康の決断がたびたび描かれることになろう。このあたりについては昨年出版された本多隆成『徳川家康の決断』という、そのものズバリの本があるので参考に読んでおくとより楽しめると思う。

 ただ、その一方で、この決断に至るまでの流れがどのように表現されるのかが気になるところだ。現代の我々も同じだが、人は何かを決断する際、手持ちの情報から思考して決断する。ここで重要なのはその手持ちの情報、すなわち家康が何を知っていて何を知らなかったのかという点を押さえておく必要がある。このあたりは時代考証を担当する方々の手腕にもかかっているので、ぜひがんばっていただきたいところであるが、思考からの決断のプロセスをうまく描くことができるなら、おもしろいものになるに相違ない。

 確かに、中には雷に打たれたようにひらめいてといったものや、沈思黙考する時間が与えられず、急ぎ決断を迫られるという場面もあるだろう。ただ毎回、場当たり的で思考なき決断がなされるようであれば、飽きられてしまうだろう。少なくとも私は、ロジックの上での決断がなされていくのを見たい。さらにこれが家康の成長に伴って、拙いものから次第に良きものになっていくならば、最高である。

 そして、本作はフォロワーたちの物語でもある。いわゆる「徳川四天王」とされる人々や、さまざまな家臣たちがその判断をフォロワーとして手助けするであろうことは想像に難くない。また、今回は家康の側室たちも多く出てくるようであるので、彼女たちからの意見が決断につながるという場面も予想される。

 また、家康自身、織田信長や豊臣秀吉などの背中を追いかけるようにして天下人となったフォロワーであるし、また巨視的にも鎌倉幕府に始まる武家政権というものの中興者としてフォロワーであると言える。この観点からすれば、朝廷と幕府との関係を規定する「禁中並公家諸法度」や、その前提となる諸事件などについて描いてほしいところであるが、そこまでは手が回らないだろう。

 メタ的な視点からすれば、脚本の古沢氏もまた、三谷幸喜氏のフォロワー足り得るかというのが見どころである。コメディタッチを加えながらというスタイルはおそらく引き継がれる。ただ、心配なのはそれが盛大にスベった場合は目も当てられないことになるという点である。『鎌倉殿の13人』の場合は物語に凄みとも言える重厚さがあったし、キャラクター造形の巧みでもあったと思う。このあたりは経験のなせる業であろうが、古沢氏は時代劇が今回初挑戦という話であるので不安でならない。現代劇のフレームに時代劇のフレーバーを付けただけと評されることがなければ良いが、切に願う次第である。さてどうするのか、そしてどうなるのか、放送を楽しみに待ちたい。

井戸恵午/ライター

井戸恵午/ライター

フリーのライター。主にWEBメディアで執筆中。

Twitter:@idokeigo

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