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『鎌倉殿の13人』家康が隠した“頼朝の最期”と、ついに出揃った「13人」を徹底解説

文=菊地浩之(経営史学者・系図研究家)
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長い長い“プロローグ”が終わり、ついに本章に突入するNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』。パワーゲームの幕開けだ! 画像は鎌倉市のランドマークでもある鶴岡八幡宮。源頼朝ゆかりの神社として知られている。(画像はWikipediaより)

頼朝死す!…やっと出揃った『鎌倉殿の13人』

 NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』第26回(7月3日放送)で、ついに源頼朝が死去した(大泉洋さん、お疲れさまでした)。享年53(たぶん満51歳)。

 後継者の源頼家(演:金子大地)はまだ16歳(前年末の満年齢、以下同じ)。当時は数え15歳(満14歳)で成人と認められたそうなのだが、いかんせん政治経験がない。頼朝が自分の寿命をいつまでと考えていたのかは不明だが、「50歳過ぎてんだからさぁ、そろそろ考えててもよかったんじゃないの?」(大泉洋だったら言いそうな……)という感じである。

 そこで、頼家の業務を支援するというか、代行するというか、13人の御家人が選ばれた。ここでやっと、ドラマのタイトルである『鎌倉殿の13人』が完成する。今までは、長い長い前奏に過ぎなかったのである(半年もかかったけど)。

 では、以下にそのメンバーをおさらいしておこう(各御家人の年齢は、頼朝死去時の年齢。俳優の年齢は、2022年時点での満年齢)。

【文官チーム】京都から下ってきた下級公家がメイン…子孫には毛利元就も

●中原親能
(なかはらのちかよし、55歳/演:川島潤哉、演者は今年43歳)
 頼朝の幼なじみ。その縁で京都から呼び寄せられた下級公家である。朝廷との交渉を担当し、源義経(演:菅田将暉)が後白河法皇(演:西田敏行)に拝謁した際に、横にいたような……気がする(筆者もあまり記憶にない)。

 のちの九州の戦国大名・大友宗麟(そうりん)の先祖は親能の養子らしい。親能が九州に莫大な所領と権益を頼朝から与えられたから、大友氏はそれをバックにブイブイいわせていたという。

大江広元
(おおえのひろもと、50歳/演:栗原英雄、演者は今年57歳)
『鎌倉殿の13人』で最近とみに活躍している、悪知恵の宝庫みたいな御仁。中原親能の親戚で、その縁で京都から呼び寄せられた下級公家。旧姓を中原といい、親能とは実の兄弟だったとか、いやいや継母の連れ子だったとか諸説紛々で、親能との実際の関係はよくわからない(そもそも親能自身が中原氏の養子という説もある)。

 みなさんも日本史の授業で習ったと思うのだが、広元は政所別当(まんどころべっとう)として鎌倉幕府の行政部門を支えた。決して権謀術数(けんぼうじゅっすう)だけが仕事だったわけではない。

 子孫は主に出羽(山形県)の地頭として栄え、寒河江(さがえ)、左沢(あてらざわ)、長井氏などがいる。戦国大名・毛利元就(もうり・もとなり)は、広元の子孫が相模(神奈川県)森荘の地頭となり、その後安芸(広島県)の地頭に転じた子孫だという。元就の「元」の字は、広元に由来するのだろう。元就は、名前と権謀術数とを継承したわけである。

●三善康信
(みよしのやすのぶ、58歳/演:小林 隆、演者は今年63歳)
 母が頼朝の乳母の妹だったといわれ、ながらく京都情勢を頼朝に伝えていたが、のちに鎌倉に下った下級公家である。鎌倉幕府では問注所(もんちゅうじょ)執事として、裁判業務を担った。この人の子孫は、その実務能力を買われて、そのまま室町幕府に仕えている。安田財閥の祖・安田善次郎は三善氏の子孫を名乗っている。だから名前に「善」の字があって、数字は「三」が好きだったという。

●二階堂行政
(にかいどう・ゆきまさ、年齢不明/演:野仲イサオ、演者は今年63歳)
 藤原南家の出身で、系図的には伊東祐親(いとう・すけちか/演:浅野和之)の遠縁にあたる。頼朝の母の従兄弟にあたり、その縁で鎌倉に下ってきた。頼朝が奥州藤原氏を征伐しに奥州を訪れた際、中尊寺に魅せられ、鎌倉に戻ってくるとそれを模した二階建ての仏堂を備えた寺院・永福寺(ようふくじ)を建立した。その近くに邸宅があったので、二階堂を名乗ったという(二階堂ふみがその子孫なのかどうかは定かでない)。『鎌倉殿の13人』では最近、大江広元の近くにいるようだが、目立った活躍はなかったし、この先もないだろう。

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『鎌倉殿の13人』では、イケオジ俳優・栗原英雄が冷徹ながらも極めて優秀な官僚を好演。(画像は毛利博物館に所蔵されている、明治時代の日本画家・大庭学僊による『大江広元像』【Wikipediaに掲載】より)
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『鎌倉殿の13人』では、頼朝の愛すべき従者として描かれている安達盛長。同ドラマでは頼朝の葬列の先頭に立ち、涙ながらに遺骨を運んだ。(画像は、江戸時代の古美術木版図録集『集古十種』に記載された安達盛長法体像【Wikipediaに掲載】より)

【乳母チーム】草笛光子演じる頼朝の乳母・比企尼のコネなどで“入社”

●比企能員
(ひき・よしかず、年齢不明/演:佐藤二朗、演者は今年53歳)
 頼朝の乳母・比企尼(ひきのあま/演:草笛光子)の養子である。比企尼が頼朝に対して献身的な支援を行ってきたお陰で、鎌倉幕府で大出世。妻や養妹は頼家の乳母となり、娘の若狭局(わかさのつぼね、せつ/演:山谷花純)は頼家の側室となる。

●八田知家
(はった・ともいえ、56歳/演:市原隼人、演者は今年35歳)
鎌倉殿の13人』では最近、土木工事でよく出てくるのだが、実際は下野(栃木県)の有力豪族・宇都宮氏の一族。13人のうちでは唯一、北関東に拠点を持つ。そんな人がなぜ選ばれたかというと、頼朝の乳母・寒河尼の兄弟だから。実際どんな人だったのかは不明で、『鎌倉殿の13人』での立ち位置や性格は、三谷幸喜の完全な創作だろう。子どもが茂木を名乗っているので、自民党の茂木敏充幹事長はその子孫なのかもしれない。

●安達盛長
(あだち・もりなが、63歳/演:野添義弘、演者は今年64歳)
 いわずと知れた、頼朝の側近中の側近。妻は比企尼の長女なので、比企能員とは義理の兄弟、姫の前(比奈/演:堀田真由)は姪にあたる。比企尼の女婿なので、頼朝に付けられたのだろう。『鎌倉殿の13人』では語られなかったが、娘は源範頼(演:迫田孝也)夫人(だから、比企尼を連れてきて助命嘆願したのだ)。

 血縁的には比企一族なのだが、立場的には北条氏と近く、子孫は北条氏と婚姻を重ねて大出世し、鎌倉幕府+北条氏と共に滅亡する。2001年のNHK大河ドラマ『北条時宗』で、曾孫の安達泰盛(演:柳葉敏郎)が重責を担っていた。

●足立遠元
(あだち・とおもと、年齢不明/演:大野泰広、演者は今年46歳)
 安達盛長の兄とも甥ともいわれる(すみません。正確には乳母人脈ではないですが、便宜上ここに入れました)。頼朝の異母兄・源義平に従って平治の乱を戦った武士のはずなのだが、京の文化に通じ、ほぼ文官待遇だった。『鎌倉殿の13人』では奥向きの官僚として働いている。娘は畠山重忠(はたけやま・しげただ/演:中川大志)の先妻、北条時房(ほうじょう・ときふさ/演:瀬戸康史)夫人。

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『鎌倉殿の13人』では、“頭のきれる武将”梶原景時を、歌舞伎俳優・中村獅童が好演。(画像は馬込万福寺蔵の梶原景時像【Wikipediaに掲載】より)

【御台所チーム】「13人」のなかでは群を抜いて若かった、小栗旬演じる北条義時

●北条時政
(ほうじょう・ときまさ、60歳/演:坂東彌十郎、演者は今年66歳)
●北条義時
(ほうじょう・よしとき、35歳/演:小栗旬、演者は今年40歳)
 頼朝の正妻・政子(41歳。演:小池栄子、演者は今年42歳)の父、および弟。さんざん語られているので、説明は省きます。

【相模武士団チーム】武芸に秀でた、相模エリアの豪族たち

●和田義盛
(わだ・よしもり、51歳/演:横田栄司、演者は今年51歳)
 武勇に長けた侍所の別当。下の三浦義澄の甥で、三浦義村(みうら・よしむら/演:山本耕史)の従兄弟。父・杉本義宗(すぎもと・よしむね)は庶長子だったらしく、義澄が家督を継ぎ、頼朝が挙兵した際に討ち死にした。

●三浦義澄
(みうら・よしずみ、71歳/演:佐藤B作、演者は今年73歳)
 相模一の豪族・三浦一族の長。夫人は北条時政の先妻と姉妹。うーん。三浦さんは有名だし、説明はこれくらいでいいかな。

●梶原景時
(かじわら・かげとき、58歳/演:中村獅童、演者は今年50歳)
 大庭氏の支流。武道だけではなく、行政手腕があったようだが、そのことがかえってほかの御家人らの反感を買うことになる。和田義盛夫人の従兄弟らしい。

【“選外”チーム】山本耕史も坂口健太郎も、“若すぎて”13人には入れず

 上記以外に下記の面々がいるのだが、まだ若僧ということで「鎌倉殿の13人」のメンバーからは漏れたんだろう。

●畠山重忠
(はたけやま・しげただ、34歳/演:中川大志、演者は今年24歳)

●三浦義村
(みうら・よしむら、30歳/演:山本耕史、演者は今年46歳)

●北条泰時
(ほうじょう・やすとき、15歳/演:坂口健太郎、演者は今年31歳)

鎌倉殿の13人」のなかでは3人の年齢が不明なわけだが、年齢が判明しているメンバーは、北条義時(35歳)を除いてすべて50歳以上。義時が群を抜いて若い。ドラマにもあるように、政子あたりが強引にねじ込まないとメンバー入りできなかったに違いない。

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若くまだ未熟な源頼家を支えるために選ばれた“鎌倉殿の13人”。北条義時は最も若いメンバーとして父・時政とともに参加している。(各御家人の年齢は、頼朝死去時の年齢、俳優の年齢は、2022年時点での満年齢)

源頼朝を尊敬する徳川家康が、“頼朝の最期”を破り捨てた…という“歴史ミステリー”

 さて、冒頭で述べたように、『鎌倉殿の13人』では源頼朝が死去したのだが、実はその詳細は明らかではない。鎌倉幕府の公式記録ともいうべき『吾妻鏡』に当該年が残っていないからだ。なぜ残っていないかといえば、頼朝を尊敬していた徳川家康が破いてしまったからだという説がある。

 筆者は若い頃、その論理が理解できなかった。たとえば筆者が今『吾妻鏡』のどこかのページを破り捨ててしまっても、だからといって、そのページがなくなってしまうことはないだろう。ではなぜ? ところがこの珍説、あながち間違ってはいないのだ。

 鎌倉幕府は新田義貞の襲撃によって滅亡した。『吾妻鏡』の原本も灰燼(かいじん)に帰した。ではなぜ今『吾妻鏡』が残っているかといえば、各地に写本が残っていたからだ。ただ、その写本も完全には残っていない。保存されている家々によって差異があったようだ。

 家康は天下を取ると、各地から『吾妻鏡』の写本を集めて完全な形に近づけた。それが現在まで継承されている。つまり、この時に家康が気に入らない部分を破ってしまった……というのが先述の説なのだ。

 信長や秀吉の世が長く続いていたら、鎌倉時代の研究は現在これほどには進んでいなかったかもしれない。

(文=菊地浩之)

菊地浩之

菊地浩之

1963年、北海道札幌市に生まれる。小学6年生の時に「系図マニア」となり、勉強そっちのけで系図に没頭。1982年に國學院大學経済学部に進学、歴史系サークルに入り浸る。1986年に同大同学部を卒業、ソフトウェア会社に入社。2005年、『企業集団の形成と解体』で國學院大學から経済学博士号を授与される。著者に、『日本の15大財閥 現代企業のルーツをひもとく』(平凡社新書、2009年)、『三井・三菱・住友・芙蓉・三和・一勧 日本の六大企業集団』(角川選書、2017年)、『織田家臣団の系図』(角川新書、2019年)、『日本のエリート家系 100家の系図を繋げてみました』(パブリック・ブレイン、2021年)など多数。

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