木村隆二容疑者、幼児的万能感を抱えたまま成人に成長…「誇大自己」丸出しのタイプ
和歌山市で4月15日、岸田文雄首相の選挙演説会場に爆発物が投げ込まれた事件で現行犯逮捕された木村隆二容疑者が、宇都宮健児弁護士に弁護を依頼しようとしたと「文春オンライン」(文藝春秋4月19日配信)で報じられた。宇都宮氏は、日弁連の会長を2010年度から2011年度にかけて務めており、東京都知事選にも3度出馬した大物弁護士である。
この“大物好み”の傾向は、爆発物を投げつける相手として現職の首相を選んだところにも表れているように見える。これは多くの場合、自分が特別な人間であり、他の特別な偉い人物にしか理解してもらえないし、そういう人物と関係があるべきだと信じていることによる。こうした根拠のない思い込みは、幼児的万能感を抱えたまま年齢だけ重ね、成人してからも「誇大自己」が丸出しになっているような人、つまり強い自己愛の持ち主にしばしば認められる。
木村容疑者の強い自己愛は、年齢などを理由に昨年7月の参院選に立候補できなかったのは不当だとして、国に損害賠償を求めて提訴した件でも顔をのぞかせている。木村容疑者は、昨夏の参院選に立候補しようとしたが、公職選挙法の被選挙権(30歳以上)を満たしておらず、300万円の供託金も用意できないため立候補できなかったようで、これは法の下の平等などを定める憲法に違反すると主張して提訴したのだ。精神的苦痛を受けたとして、10万円の損害賠償も求めており、しかも代理人の弁護士をつけない「本人訴訟」で行っている。
一定の年齢に達しなければ立候補できないことも、出馬に際しては供託金を準備しなければならないことも、多くの国民が受け入れていると私はこれまで思っていたが、少なくとも木村容疑者は違ったようだ。もしかしたら「自分は特別な人間だから、自分には特権が与えられてしかるべきだ」と思い込んでいるのかもしれず、そうだとすれば、まさに強い自己愛の持ち主といえる。
また、国に対して損害賠償請求をしたのは、「自分はもう十分に苦しんできたし、不自由な思いをしてきたのだから、その損害賠償を請求する権利がある」と思い込んだからかもしれない。客観的には、それほど苦しんできたようには見えなくても、本人だけは「不公正に不利益をこうむったのだから、自分には例外的な特権が与えられてしかるべきだ」と考えていることがあるが、このような思考回路も強い自己愛の持ち主にしばしば認められる。
「好訴者」の可能性
「本人訴訟」で国を提訴したことから、木村容疑者が「好訴者」である可能性も否定できない。「好訴者」とは、自分が権利を侵害されたとか屈辱を受けたとか思い込んで、その後の人生の全精力をひたすら告発、闘争、訴訟などに捧げる人を指す。このタイプは、独善的な正義感にもとづいて、自身の個人的価値観に固執し、ひたすら告発と訴訟を展開する。その根底に潜んでいるのは、自分が法的に不利益をこうむったという被害者意識と自己の権利要求を通したいという熱狂的な衝動である。
以前私の外来に通院していた男性患者は典型的な「好訴者」で、医師や病院、隣人や親族などを訴えまくっていた。しかも、すべて「本人訴訟」で、本人は弁護士資格を所持していなかったにもかかわらず、「弁護士はバカばっかりで、わしのほうが法律のことはよく知っているから、すべての書類を自分で書いている」と豪語していた。この患者は誇大妄想を抱いており、確固たる妄想体系を構築していたが、誇大妄想は「誇大自己」の投影であり、強い自己愛の究極の表れにほかならない。
木村容疑者が誇大妄想を抱いているとはいえないにせよ、幼児的万能感を抱え、現実とのすり合わせができないまま成長し、「誇大自己」が丸出しになっている可能性は十分考えられる。その結果、現実検討能力が低下し、 “大物好き”という形で表面化しているのではないだろうか。