5月1日、アステラス製薬株式会社は米国のバイオ医薬品企業であるアイベリック・バイオを買収すると発表した。アイベリックは眼科領域に特化した治療薬の研究開発を行う。なお、今回の買収に関して、アステラスは3月31日の終値に対して64%の上乗せ価格(プレミアム)を支払う。買収総額は約59億ドル(1ドル=130円換算で約7,670億円)に達する見込みだ。買収の狙いは、治療薬の供給が十分ではない疾患領域で新薬の供給体制を強化することにある。この点に関して、2005年の発足後、アステラスは一貫して新薬の供給、研究開発への「選択と集中」を徹底している。
今後の注目点のひとつは、事業ポートフォリオの入れ替えのさらなる加速だ。ここからさき、米国を中心に世界的な景気後退の懸念は高まり、株価には下押し圧力がかかるだろう。株価の下落は同社にとって、有望な新薬候補、あるいは基礎的な研究開発力を持つ企業を買収し中長期的な成長性を引き上げる重要な機会になりうる。アステラスはこれまで以上に過去の買収に起因する減損発生などのリスクに対応しつつ、海外での買収戦略を強化しなければならない。
新薬開発に生き残りをかけたアステラス
設立直後からアステラスは、世界の希少疾患分野で新薬を開発して生き残りを目指す方針を明確に示した。それは、アステラス誕生の経緯から確認できる。2004年10月、消毒薬の「マキロン」などを製造していた山之内製薬と藤沢薬品工業は両社の一般用医薬品事業を外だしして統合し、ゼファーマ株式会社として発足させた。その上で、2005年4月、山之内製薬と藤沢薬品工業は医療用医薬品事業を統合(合併)し、今日のアステラス製薬が誕生した。その後、アステラスは急速に新薬開発体制を強化するために資産売却を加速した。具体的には研究や臨床に用いられる試薬事業を売却したり、ゼファーマを第一三共に譲渡したりした。なお、譲渡された後、ゼファーマは第一三共グループの一般用医薬品と統合され、第一三共ヘルスケアとして今日に至る。このように、アステラスの誕生は、わが国の製薬業界の再編を加速させる契機になった。
2010年代に入って以降もアステラスは選択と集中を加速させた。2013年には静岡県の富士工場を後発薬大手の日医工に売却した。2015年には、皮膚病治療薬をデンマーク企業に売却した。2017年には長期収載品16製品をLTLファーマ株式会社(東京都)に売却した。なお、長期収載品とは新薬としての特許が切れた後も薬価基準上の取り扱いが大きく変更されない(ジェネリック=後発医薬品よりも価格は高い)医薬品を指す。
選択と集中の加速によって、2018年度と2019年度、アステラスの営業利益率は20%を超えた。特に、2015年頃からは前立腺がん治療に使われる「イクスタンジ」が世界の治療ニーズを取り込み、収益の柱として大きく成長した。2022年度の実績として、イクスタンジは6,611億円の売り上げを計上している(2022年度のアステラスの連結売上高は1兆5,186億円)。同社は新薬の研究開発、供給体制の強化に向けた改革に加え、人員削減も実施してきた。これまで2007年、2014年、2016年、2018年、2021年に人員削減が行われている。狙いは、営業の効率性の引き上げとコスト削減(特に、固定費の圧縮)、さらには新卒一括採用、年功序列、終身雇用の雇用慣行に慣れ親しんだ組織風土を抜本的に改め、成長志向を引き上げることにある。
スペシャリティーファーマとしての成長戦略
その上でアステラスは、新薬の中でもがん、さらには遺伝子治療や細胞治療に集中し始めた。いまだ有効な治療方法が確立されていない疾患の治療薬を世界トップスピードで供給し、より高い成長を目指すというのがアステラスの事業運営戦略だ。
目下の課題は、特許切れへの対応だ。2027年にイクスタンジの特許は切れ売り上げ減少が懸念される(パテントクリフ)。また、アステラスは全社売り上げの4割程度をイクスタンジに依存しているものの、収益はファイザーとシェアしている。利益率への貢献は必ずしも高くはない。背景には次のような経緯があった。2009年にアステラスはイクスタンジの研究開発を進めていた米バイオ薬品企業のメディベーション(当時)と共同開発・商業化に関する契約を締結した。2016年にメディベーションは米ファイザーに買収された。
イクスタンジに続くと期待された新薬供給に関しても不確実な部分がある。2023年2月20日、アステラスは更年期障害向け治療薬である「フェゾリネタント」について、米国食品医薬品局(FDA)からの承認取得が3カ月遅れる見通しであると発表した。アステラスはフェゾリネタントに関して、ピーク時に5000億円程度の売り上げを計上すると期待している。2023年度の決算に与える影響は軽微なようだが、同社株主は新薬開発のリスクを再認識しただろう。
そうしたリスクを低減させるために、今回、アステラスは米国のアイベリック・バイオを買収する。現在、米国においてアイベリックは加齢黄斑変性の治療薬の審査を受けている。加齢黄斑変性とは、網膜の中にある黄斑という部分が加齢によって変化することで起きる疾患を指す。わが国で、加齢黄斑変性は失明原因の第4位であるとされる。症状が進行してからの回復は難しいといわれ、iPS細胞を用いた治療法の確立などが急がれている。2023年8月19日をアイベリックはFDAによる審査終了目標日として設定しており、早期の収益獲得が期待される。また、アイベリックは幼児期に視覚障害や失明を引き起こすレーバー先天性黒内障10型の治療薬の研究開発も進めている。アステラスが中長期の視点で新しい収益の柱を確立するために、アイベリックの治療薬パイプラインを取り込む意義は高い。
加速する事業ポートフォリオの入れ替え
今後、アステラスはより多くの新薬候補群=パイプラインを獲得しなければならない。それはスペシャリティーファーマとして世界市場で成長を目指す同社にとって、最も重要なリスク分散になるだろう。
2023年度の主要製品別売り上げ予想に関してアステラスは、イクスタンジが6,699億円、「パドセブ(尿路上皮がん治療剤)」は667億円、「ゾスパタ(急性骨髄性白血病治療剤)」は493億円を見込む。短期的にイクスタンジに依存した収益構造は続く。その状況から脱するために、アステラスは事業ポートフォリオの入れ替えを加速させるだろう。経営戦略の教科書に出てくるプロダクト・ポートフォリオ・マトリックス(PPM)をイメージして考えると、イクスタンジは潤沢なキャッシュフローを生み出す「金のなる木」に位置づけられる。イクスタンジなどが生み出す資金を用いて、アステラスは海外での買収戦略を強化し、成長率とシェアが高い製品を増やさなければならない。製薬メーカーや新薬に関する有望な研究開発を行う企業を丸ごと買収することに加え、メガファーマが持つ事業の一部などを対象とするカーブアウト型の買収も増えるだろう。
重要となるのは、徹底したリスク管理だ。近年、世界の製薬業界では買収価額がせりあがってきた。例えば、2023年3月、米ファイザーはバイオ企業のシージェンを約430億ドル(約5兆7000億円)で買収すると発表した。中長期的に高い治療効果が期待される新薬開発技術を持つ企業は、創業後間もない段階であってもかなりの高い値が付く。アステラスは減損リスクに対応できるよう財務体力を高めつつ、メガファーマを中心に熾烈化する買収競争にしっかりと対応しなければならない。このように考えると、海外での買収の増加に伴い、アステラスが既存事業の収益性、成長性をより厳密に評価し、事業の売却などリストラ策を強化する公算は大きい。アイベリック・バイオの買収は同社経営陣がこれまで以上に高い成長にこだわり、事業ポートフォリオの入れ替えを加速させようとし始めた嚆矢といえる。
(文=真壁昭夫/多摩大学特別招聘教授)