「裁判が決着しても、その後の提携問題がある。鈴木氏は辞めたくても辞められない。90歳まで現役続投を宣言した理由が、これだとみられている」(業界筋)
消耗戦
15年3月期連結決算は、軽自動車大手であるスズキ、ダイハツ工業とも減益となり、苦境が鮮明になった。スズキの本業の儲けを示す営業利益は、前期比4.4%減の1794億円と6年ぶりに減益となった。ダイハツも営業利益は24.6%減の1106億円で、6年ぶりの減益だった。足を引っ張ったのは国内事業だ。消費増税に伴う駆け込み需要の反動減に加え、両者の激しい首位争いが影を落とした。
鈴木氏は「このままでは万年2位になってしまう。1位を取りにいった」と語るように、昨夏、シェア奪還の号令を発し、その結果、暦年で8年ぶりにダイハツから首位の座を奪った。だが、ディーラーがナンバー登録して転売する「未使用車」が増加し、これが利益を押し下げた。「シェアでは飯は食えない」とシェア争いに背を向けていた鈴木氏が“怪物経営者”に原点回帰した結果、減益となった。
07年は軽自動車業界にとってエポックメーキングな年となった。06年度に「軽の王者」スズキがダイハツに抜かれた。特に06年はスズキとダイハツが熾烈なトップ争いを演じ、両者の社名の頭文字を取って「SD戦争」と呼ばれた。
この年に横行したのが、ディーラーが新車を自社名義でナンバー登録する行為だった。当時は「新古車」と呼ばれていたが、現在では「未使用車」に呼び名を変えた。ディーラーは販売ノルマを達成するために新古車を濫造して、新車販売台数を水増ししてきた。SD戦争が激化した06年後半、スズキはこれを「お行儀の悪い売り方」と指摘し、同社のディーラーはおおっぴらにやれなくなった。スズキが販売台数でダイハツに抜かれた最大の原因が、これである。
その後は首位のダイハツに販売台数で水をあけられ、ホンダの追い上げもあって、スズキのシェアは3割を割った。「2位でよいという空気がジリ貧を招いた」(業界筋)ことに危機感を抱いた鈴木氏は「シェアを取りに行く」「最低でもシェア30%を取る」と宣言した。
14年暦年でスズキはシェア首位に返り咲いたが、14年度(14年4月~15年3月)ではダイハツが抜き返した。15年度の軽自動車市場は、シェア争いで再びヒートアップすることになる。
(文=編集部)