球場や競技場の「芝生」の秘密 想像を絶するプロの技術が結集 天候や目的に合わせ調整
「伝説のグラウンドキーパー」に師事して腕を磨いた
1952年生まれの池田氏は、武蔵工業大学(現・東京都市大学)の土木学科を卒業後、大手ゼネコンに就職。その後イベント会社への転職を経て起業し、イベント運営を手がけていた。そんな池田氏に転機が訪れたのは89年のことだ。師匠であるジョージ・トーマ氏との出会いである。
現在87歳のトーマ氏は、67年の第1回のスーパーボウルから全大会に参加する、米国で最も有名なグラウンドキーパーだ。メジャーリーグベースボール(MLB)の殿堂入りも果たした伝説的な人物でもある。
89年8月5日、NFLのプレシーズンマッチである「アメリカンボウル」が東京ドームで開催されるに当たり、同年3月にトーマ氏が来日して、両チームの練習場を探し始めた。同大会にイベント運営で関わっていた池田氏に、この練習場確保の仕事が回ってきたのだ。
練習場に対するNFLの要求は「天然芝のターフが2面あること、選手の宿泊先となるホテルニューオータニから30分以内」という条件だった。
「国立競技場や代々木競技場、そしてホテルに近い上智大学と交渉したが不調に終わり、結局、織田フィールド(代々木公園陸上競技場)に芝を植え、試合までに造成・管理することになりました」(同)
こうして芝生と関わり始めた池田氏は、トーマ氏の背中を見て作業を学び、彼の帰国後も引き続き練習場の管理を担当した。悩んだ時は国際電話で現状を報告し、指示を受けながら芝の管理作業を行った。
これ以降もトーマ氏に学びながら芝生整備を担当し、立地条件の違うさまざまな芝生と向き合い場数を積んだ。やがて、当時スーパーボウルのヘッドグラウンドキーパーだったトーマ氏の推薦で、94年に同大会のグラウンドクルーに選ばれたのだ。
1試合のために1カ月前から芝を張り替え、時には上空にヘリコプターを飛ばし、ホバリング(停止飛行)しながらプロペラの風圧でフィールドを乾かすなど、競技場の整備にかける費用と手法に驚いたという。池田氏は、全米各地から集まった名グラウンドキーパーと一緒に作業に取り組み、自らの技術も高めていった。
その作業ぶりが認められ、以後20年以上スーパーボウルのスタッフとして、毎年渡米することになる。これ以外にもアメリカンボウルや、オールスターゲームである「プロボウル」などにも参加する。現在は社内研修として、毎回部下を同行させているという。
「芝生文化」を根づかせる活動にも取り組む
冒頭に記した「校庭・園庭の芝生」についても紹介しよう。オフィスショウはアドバイザーとして、校庭・園庭の芝管理にも10カ所関わっている。
学校や幼稚園は、校庭・園庭の芝管理にかけられる予算が少ない。「その場合は、石などを取り除き、生えている草(グラス)を一定の長さに刈り込んでターフにすればいいのです」(同)。とはいえ、一度整備すれば終わりではなく、草は伸びるので、必ずその後の手入れが必要になる。そこで、担当する関係者に保全の仕方をアドバイスするという。
池田氏が校庭の芝生まで引き受けるのは、「日本に米国のようなスポーツターフ文化を育てたい」との思いからだ。周囲の理解も進み、スタッフも増えた。東京農業大学出身で在学中からグラウンドキーパーを目指してきた社員も目立つ。
池田氏の部下である女性グランドキーパーは次のように語る。
「この仕事は気象情報が欠かせません。天候によって人の動きも変わります。急な雨への備えも必要で、各練習場で作業中の同僚とは、携帯電話の気象情報をチェックしながら作業を進め、『いま(東京の)小平で雨が降り始めたから、もうすぐ大宮も降ると思うよ』などとやり取りします。思い通りにはなりませんが、自然の雨は散水よりも芝が生き生きとします」
とかく青々とした見た目だけが注目されるスポーツターフだが、芝の下にはさまざまな工夫が施されている。プロサッカーやアメリカンフットボールが好きな人は、試合観戦時に、こんな一面に思いを馳せながら芝を見てはいかがだろうか。
(文=高井尚之/経済ジャーナリスト・経営コンサルタント)