「黒船襲来」――スターバックスの日本進出と聞くと、そんなイメージを持つかもしれません。スターバックスは、今では世界65カ国に2万1000店舗以上を展開する巨大コーヒーチェーンです。日本にも1000店舗以上あります。米国発の巨大ビジネスを「黒船」と呼びたくなる気持ちはよくわかります。しかし実は、最初に日本で事業展開を検討した頃のスターバックスは、小さな「釣り船」にすぎなかったのです。
スターバックスの日本上陸物語が始まったのは、今から20年以上前の1992年のことです。当時、米シアトルのローカルなコーヒー会社だったスターバックスは、シカゴやポートランドなど北米の他の都市に店舗を出し始めたところでした。ようやく100店舗を超えた頃、カリフォルニア州の最初の進出先としてロサンゼルスを選び、代表的な観光スポットであるベニスビーチに同州1号店をオープンしました。
カリフォルニア1号店が誕生してから間もない頃、この店舗を訪れた日本人がいました。それがサザビー(現サザビーリーグ)創業者・鈴木陸三氏の実兄・角田雄二氏でした。ベニスビーチでレストランを経営していた角田氏は、1ブロック先にオープンしたスターバックスに興味を持ち、立ち寄ってみたのです。
「なんか、いいにおいがする」
角田氏の商売人としての嗅覚を刺激したのは、コーヒーのいい香りだけではありませんでした。スターバックスの洗練された店舗デザインや、バリスタたちのフレンドリーな接客に注目したのです。「スターバックスとサザビーが組めば、最高のチームになる」――そう直感した角田氏は、すぐに鈴木氏に連絡を取り、ロスに呼び寄せました。
サザビー創業者の経営判断
角田氏と鈴木氏は、湘南の老舗スーパーマーケットを営む家に生まれ、若い時に俳優の石原裕次郎とヨットレースなどに興じる仲でした。その様子を裕次郎の兄・石原慎太郎氏が『太陽の季節』(新潮社)という小説に描き、芥川賞を受賞。戦後間もない1950年代に突然現れた豊かで自由な若者風俗は、世間を驚かせました。
持って生まれたセンスと育った環境の相乗効果によって、角田氏と鈴木氏は誰も思いつかなかった方法で、ファッションや飲食のブランドを次々と成功させていました。ライフスタイルという言葉を日本中に広めた、生活雑貨とティールームの「アフタヌーンティー」を手がけているのもサザビーです。扱うブランドを合計すると、サザビーのほうがスターバックスより売り上げ規模が大きいぐらいでした。
そんな角田氏と鈴木氏の兄弟は、あうんの呼吸でスターバックスの価値を見抜きました。
「コーヒーとサービスは間違いなく本物だ」
「ペーパーカップとロゴがかっこいいよね」
ふたりの意見はぴったり一致しました。ただ、スターバックスとアフタヌーンティーは、コーヒーと紅茶の違いはありますが、軽飲食と雑貨を合わせた業態という意味ではよく似ており、鈴木氏は「今やらなくてもいいかも」という判断でした。多くの人が毎日飲むコーヒーは、たまに飲む嗜好品である紅茶とは桁違いのマーケット規模です。ニッチを掘り起こしブランドを成功させてきたサザビーにとって、それはまったく未知の領域です。自分たちが得意とした若い女性向けのブランドと違って、当時のコーヒー消費者はほとんどが男性だったので、スターバックスを日本でやるとなると大きな覚悟が必要でした。
しかし鈴木氏は角田氏の情熱を信じ、スターバックスCEOのハワード・シュルツ氏にアプローチしました。
「黒船」誕生の瞬間
一方、スターバックスの海外展開を考えていたシュルツ氏は、最初の進出国は日本以外にないと思っていました。具体的な提携相手も探っていましたが、市場分析を依頼した日本のシンクタンクが出してくる企業名に納得していませんでした。
大手の商社、チェーン展開している小売業者、コーヒーメーカーなどは、どこもビジネスライクすぎて、スターバックスの価値観を本当には理解共有できないのではないか――そんな疑念を抱いている時、シュルツ氏のハートに刺さったのが、日本が誇るカリスマ経営者である角田氏と鈴木氏の情熱と人柄だったのです。
ベンチャースピリットを持った日米の釣り船が大海を漂っていたところ、幸運な出会いがあり、お互いに一目惚れをしたようなものです。ネクタイをするのが当たり前だった時代に、角田氏と鈴木氏は粋なカジュアルウェアを着こなし、センスあふれる会話でシュルツ氏を魅了しました。これが「日本スターバックス物語」の発火点となったのです。
米スターバックスは、ウェブサイトで国際事業について次のように記しています。
「スターバックスのグローバルな成功は、海外パートナーのおかげである。パートナー企業の献身がなければ、スターバックスは今日のように世界中で尊敬されるブランドにはなり得なかった」
日本での営業はまったく未知数で、北米以外でスターバックスが受け入れられるのか、誰も確信はありませんでした。しかし、結果的にスターバックスはサザビーと組んだことで海外展開の成功の方程式を手に入れたのです。日本で成功してから、スターバックスは世界各地に進出して大きくなっていきました。
「スターバックスで最高のサービスを受けたかったら、日本が一番」――これは、シュルツ氏の右腕で、角田氏と二人三脚で日本のスターバックス立ち上げに尽力したスターバックス・インターナショナル元社長、ハワード・ビーハー氏の言葉です。
しかし、もし角田氏がスターバックスのいいにおいに気づかなかったなら、もし鈴木氏が「今はやめておこう」と判断していたら……。角田氏の直感と情熱、鈴木氏のセンスと経営判断、そしてシュルツ氏たちスターバックスの経営幹部との信頼関係と友情、どれひとつ欠けても「黒船スターバックス」の今日の姿はなかったのです。
(文=梅本龍夫/立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科特任教授、経営コンサルタント)