筆者がジョンソン・エンド・ジョンソンの社長に45歳で就任した時に、米総本社から訪日した当時のCEO(最高経営責任者)であったジェームズ・バーク氏に対して発した質問がある。
「バークさん、あなたは経営者に対して、いかなる能力を最も強く求めますか?」
この問いに対する答えが面白い。
「2つある。ひとつは平均を上回るインテリジェンス(知能・知性)、もうひとつは極めて高度の倫理観である」
この答えを“翻訳”すると、「経営者は、それほど頭が良い必要はない。頭の良さは平均以上でいい。しかし、倫理観は平均以上という生半可ことでは済まされない。極度に高くなければいけない」という意味である。この言葉は私の胸にグッと刺さった。
企業にはビッグ(big)な会社とグッド(good)な会社とがある。ビッグとは文字通り「大きい」ということである。売り上げ、利益、シェア等、とりあえず大きいことは望ましい。ステークホルダー(利害関係者)に対する影響力も大きくなるし、将来に向かっての成長を図るための思い切った投資も可能となる。
一方、グッドは「良い」ということだ。正しいプロセス、正しい手段で売り上げを立て、利益を上げている。社員は誇りや達成感や自己実現感を持って仕事をしている。お客様には高品質の商品やサービスを提供して、結果として評価され感謝されている。取引先にはフェア(公正)な利益を得る機会を与えている、社会に対する責任や貢献を果たしている、というイメージである。
ここで言いたいことがひとつある。「会社はビッグになる前にグッドでなければならない」ということである。換言すれば、「ビッグになるという目標を達成するためには、グッドな手段・方法で行う」という経営の基本であり原理原則である。さらに言えば、グッドにビッグが加わると、そこにはグレート(偉大)が生まれる。
経営者が倫理観を失いバッド化した東芝
このところ毎日のようにマスコミに報道されている東芝のスキャンダルを見ると、明らかにグッドを忘れてビッグのみに経営の軸足を置いている。人間には人格とか人徳というものがあるが、会社にも社格や社徳がある。2014年3月期で売上高6兆5000億円、社員数20万人というビッグな会社が、限りなくバッド(bad)な会社に成り下がっている。
筆者はマスコミの報道はすべて鵜呑みせずに、とりあえず疑って見ることにしている。多くのマスコミは、一部の事実のみをつまみ食い的に報道はしても、全体の真実を語らない。だが、諸々の報道を俯瞰すると、東芝の社格や社徳が劣化した原因は、経営者が発する「なんとかしろ」「工夫しろ」といった言葉に尽きるという気がする。