香港では6月以来、香港特別行政区政府による犯人引き渡し条例改正案の上程に端を発した、デモ隊と警察部隊の衝突による混乱が日増しに深刻になっている。この対立激化の裏に、昨年11月に事実上引退した香港警察元ナンバー2の強硬派最高幹部が8月に突然復帰し、デモ隊鎮圧の総責任者に任命され、指揮を執っていることがある。
デモが激化しつつあった6月以降、中国共産党指導部は香港政府に対して、中国人民武装警察部隊(武警)や人民解放軍の出動もやむなしとの立場を伝えており、窮地に追い込まれた香港の最高指導者、林鄭月娥(ケリー・ラム)行政長官は「引退幹部の復帰」という禁じ手を使わざるを得なかったようだ。
しかし、香港警察の強硬姿勢が裏目に出て、デモ隊の抵抗に火に油を注いた。結果的に鎮圧に失敗すれば、30年前の北京・天安門事件同様、軍の導入によって多数の犠牲者が出ることが予想されるだけに、事態の早期沈静化をもっとも強く願っているのは、ほかならぬ習近平中国国家主席にほかならない。
「行動部門」トップの復帰
復帰した警察幹部とは、元香港政府警務処副処長(副総監)の劉業城(アラン・ラウ)氏だ。香港政府における警務処とは日本の警察庁に相当し、劉氏は昨年11月まで2人いた副総監の一人で、捜査や警備、治安維持などの「行動部門」担当のトップだった。もう一人の副総監の担当業務は人事や総務などの「管理部門」だけに、劉氏は実働部隊のトップというわけだ。
劉氏は1984年、英国統治下の香港政庁の皇家香港警察本部に幹部職員として勤務。その後はとんとん拍子に出世し、2002年に高級警視、16年に副総監に就任。この間、14年の学生らによる民主化要求運動で、香港中心部の市街地を3カ月間にわたって占拠した雨傘運動や、16年の民主化運動も鎮圧するなど、香港警察のなかでは最強硬派幹部として知られていた。また、17年の香港の中国返還20周年を記念して香港を訪れた習主席ら一行の警備の総指揮を執り、堅実で緻密な仕事ぶりに中国指導部も高い評価を与えたという。
劉氏は昨年11月、引退年齢の57歳の誕生日を迎えたことで、有給休暇消化のため休暇に入り事実上引退したが、今回の騒乱激化で8月8日に復帰し、「特別職務」担当の3人目の副総監として返り咲いた。香港政府は劉氏の復帰について、今年10月の新中国建国70周年の警備体制の強化を挙げているが、劉氏の治安維持の手腕に期待しているのは明らかだ。
実際に、劉氏が復帰してから、デモ隊の強制排除方針を貫いてきた香港警察の機動部隊の行動が変わってきたのは明らかだ。香港警察は地下鉄駅内でエスカレーターを転げ落ちるデモ参加者に催涙弾を発射したり、若者に向けて銃口を向けるほか、警棒で繰り返し強打し、催涙ガスを発射して構内に充満させ、乗客の動きを封じ込めるなどの攻撃姿勢を強めるようになったのだ。