司法省やFBIの捜査が佳境に入ったと見られる14年5月に、同社は社長交代を行っている。偶然なのかどうかは定かではないが、今回の発表時点で「現社長が訴追された」などという恥さらしを避けることはできた。
「公正取引への執念」と「談合の闇」
日本企業の談合疑惑に対する米側の追及には、厳しいものがある。今回の事案だけでも、司法省の発表によると、「日本ガイシを含む28社と26エグゼクティブが有罪を認め、現時点で24億ドル(約2880億円)の罰金の支払いに合意した」という。10年にデンソーや矢崎総業などが摘発されて以来、毎年のように日本メーカーのカルテル行為がやり玉に挙げられてきた。12年に日本企業に課せられた罰金の合計は、反トラスト法で司法省が課した罰金総額の半分以上に達していた(パットン・ボッグス法律事務所のリポート)。
どうしてこれほどまでに、日本企業が狙い撃ちにされているのか。それには、アメリカにおけるフェアネス(公平)への執着、価値観を理解する必要がある。アメリカは移民社会として発達してきた国なので、参加者の間での競争における公平というのが必須の文化として醸成されてきたのだ。カルテルは、殺人や強盗と同程度の、FBIが乗り込んでくるクリミナル(重罪)なのだ。
一方、耕作民族として発展してきた日本は、ムラ社会の価値観として「関係者全員の調和と同律な利益享受」が形成されてきた。そのような文化背景では、談合はむしろ推奨されるような商行為だったわけだ。
この2つのビジネス文化の隔絶を、私は痛感してきた。米誌「フォーチュン」が毎年選出する優れた企業500社のうちの1社であるミード日本法人社長となって、米国への出張を繰り返した。毎年のカントリー・マネジャー会議で本社の社内弁護士が必ず1時間ほどセッションを行い、競合会社との会談、邂逅、立ち話について警告を発していた。
例えば、大手顧客が取引先を対象とするパーティを東京で開催した。そこで競合企業の社長たちと会えば名刺を交換するし、会話をする。しかし、それらは「情報交換」であってはいけないばかりか、ただちに米国本社の法務部に対して「競合のどんな立場の、誰と、どのような状況で会って、何を話したか」を報告しなければならなかった。