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学問的な業績に加えて、異色の経歴の持ち主でもある。高校時代は山梨県代表に選ばれるほどのスキー選手で、当時得た「人の真似をしていては、その人を超えられない」という教訓は、大村氏の信念になっているという。後進を指導する際に、「人と同じ事をやってもダメ」と励ますそうだ。地元の山梨大学を出て定時制高校の教諭をしながら、大学院の修士課程を修了したのが、研究者人生のスタートだった。早くからエリートコースを駆け抜けたわけではなく、一歩一歩地道に努力を重ねて、ノーベル賞の高みに到達した人物なのである。
研究者としての数々の業績の傍らで、経営にも取り組んだ。「日本の細菌学の父」として知られる北里柴三郎氏が創立した名門ながら、破たん寸前だった北里研究所の経営を立て直したのだ。
素粒子物理学は日本の“お家芸”
一方の梶田氏は、日本人として11人(米国籍を取得した南部陽一郎、中村修二の両氏を含む)目のノーベル物理学賞受賞者になる。このうち同氏を含む7人は、「素粒子物理学」研究で受賞の栄誉に輝いた。この分野は、宇宙の成り立ちの解明に不可欠な学問だ。49年に日本人として初のノーベル賞受賞者となった湯川秀樹氏や、朝永振一郎氏を輩出して、日本が世界をリードしてきた分野で、今や日本の“お家芸”と呼ばれている。
その系譜で異彩を放つのが、02年にノーベル賞を受賞した小柴昌俊・東大名誉教授である。日本の素粒子物理学は、戦後の黎明期に資金が乏しく実験装置が不足していたこともあり、長らく理論研究が主流を占めてきた。ところが、小柴氏は神岡鉱山(岐阜県)の地下に築いた巨大観測装置「カミオカンデ」を使って、超新星の爆発で地球に到達したニュートリノの観測に成功した。これにより、実証研究の道を切り開き、実証を理論と並ぶ日本の素粒子物理学の両輪に育て上げた功績がある。
今回、受賞した梶田氏は、その小柴氏の“孫弟子”だ。梶田氏の師匠にあたる戸塚洋二氏のチームは、98年に「カミオカンデ」の規模をより大きくした「スーパーカミオカンデ」を開発し、「ニュートリノ」に質量があることを示すニュートリノ振動を発見した。戸塚氏は早逝し、受賞の機を逸したものの、戸塚チームの中心メンバーだった梶田氏が今回の栄誉に輝いた。6日の記者会見で、梶田氏が「戸塚氏の功績が大きい」と話した背景には、そういう子弟の絆があったのだ。
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