田中氏には2人の娘がいる。長女の千尋氏と次女の千寿氏だ。2人とも高校生になると、早朝から店の手伝いをした後に登校した。ただし当時の田中氏は「2人とも女の子なので、いつかはお嫁に行く。この店は私一代で終りだろう」と思っていたという。
しかし、千尋氏は違う思いを持っていた。名古屋のお嬢様学校である金城学院に中学、高校、短大と学んだ後、同級生とはまったく違う道を進む。東京で洋菓子を学んだ後、反対する周囲を押し切りフランスに渡る。「リッツ・エスコフィエ」「ベルエ・コンセイユ」で学び、三ツ星レストランやパティスリーで修業した。
帰国すると、フランスで学んだ製菓技術をベースに95年から「父のコーヒーに合うフランス菓子」を提供するために店を改装。店名も「カフェタナカ」に変えた。
千尋氏のつくる洋菓子は徐々に評判を呼び、客層も広がり繁盛する。父の時代は「ご近所の喫茶店」だったのが、「遠くからクルマで買いに来る洋菓子店」にもなった。
ユニークなのは、カフェとしても、パティスリーとしても人気な点だ。しかも、多くの洋菓子店のカフェ(イートイン)は店の一角に10席ある程度だが、同店のようにカフェの座席が70席以上ある洋菓子店は、ほとんど聞かない。
各メディアで引っ張りだこになっても新たなテーマに挑む
現在の同店は、雑誌やテレビなどで頻繁に紹介される存在となった。千尋氏のメディア露出も多く、たとえば今年放映されたNHK BSプレミアム『リアル“まれ”の女神たち~女性パティシエのおいしい科学~』では、4人のパティシエの1人として出演した。
時期は前後するが、同店は2013年、大丸松坂屋名古屋店(旧松坂屋本店)にも出店した。名古屋では、江戸時代の呉服店から続く松坂屋に特別な思いを持つ人が多く、出店の反響は大きかったという。本店以外には同店のほか、名古屋の駅ビル「ジェイアール名古屋タカシマヤ」と、三重県のアウトレット「ジャズドリーム長島」にも店舗を構える。
だが、そのように業務が拡大し、知名度が上がっても洋菓子に魅せられた原点は忘れない。千尋氏は20代前半の渡仏前に名古屋や東京で評判の洋菓子店を食べ歩いたという。「なかでも東京・尾山台の『オーボンヴュータン』の味に最も感動しました」(千尋氏)。
どんな仕事でも光があれば影もある。一見華やかに見えるパティシエの仕事も、製作作業は重労働だ。何回もスイーツの生地を焼く仕事では、オーブンの近くは熱く、何度も繰り返す作業は体力勝負だ。体調が崩れると表現力も落ちて味に影響してしまう。華やかさに憧れてパティシエ見習いとなった女性も「これは私には無理」と挫折する人もいる。
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