「設計ミスを認めたら、建て替え費用の大半を負担しなければならなくなる。『設計ミスでない』と突っぱねるしか道がないのではないか」(元大手ゼネコン首脳)
しかしその後、12日になって三井住友建設は、不具合のあった杭打ち作業に社員が立ち会っていなかったことを認めた。元請けとして、きちんと仕事をしていなかったのである。11日の記者会見では、現場に立ち会ったかどうかについては「調査中」としていた。
実質的には非・三井住友グループ
三井住友建設は2003年4月、旧三井グループの三井建設と旧住友グループの住友建設が合併して発足した。両社は00年代初頭に巨額の赤字を計上して経営が悪化し、両社の主力銀行である三井住友銀行は、大手ゼネコンに経営統合を働き掛けたが引き取り手がなかった。そこで住友建設に対する600億円の金融支援で債務超過を解消させ両社を合併させたという経緯がある。
当初、三井不動産、三井住友海上火災保険、三井生命保険、三井住友銀行、三井物産など三井グループが出資していたが、07年に大和証券SMBCプリンシパル・インベストメンツなど国内外の投資会社に持ち株を売却した。09年、三井住友フィナンシャルグループ(FG)は大和証券グループ本社との合弁事業を解消。大和証券が大和証券SMBCの三井住友FG出資分を買い取って、両社の関係は切れた。大和証券側は、三井住友FG傘下の三井住友建設をこれ以上、資金面で面倒見る必要がなくなった。大和証券SMBCは三井住友建設の52.26%の株式(11年3月期末)を保有していたが、順次売却。その後、12年に完全に撤退した。
しかも、大和証券側が売却した三井住友建設株式を、三井住友FGは引き受けなかった。三井不動産が2.0%、住友不動産が1.7%の株式を保有するだけ(15年3月期末)である。
11日の会見を仕切った永本副社長は三井住友銀行営業審査第一部長、SMFG企業再生債権回収社長、大和証券SMBC監査役、三井住友銀行投資銀行統括部参与を経て、10年4月に三井住友建設の副社長に就任した。三井住友FGがお目付け役として送り込んだ人物だ。
三井住友建設は15年3月期に合併後初の配当にこぎ着けた。これを花道に社長の則久芳行氏が会長に就き、4月1日付で専務執行役員の新井英雄氏が社長に昇格した。新井氏は東京大学工学部土木工学科卒。住友建設に入社後は土木一筋で歩んできた。
孫請けの旭化成建材の社長は、親会社の旭化成社長とともに謝罪会見している。一方、元請けである三井住友建設の新井社長は姿を見せなかった。