英夫氏が次に巨費を投じたのはF1ビジネスである。足がかりとしてオランダ法人を買い取ったのは99年のことだ。折しもITバブル到来でソニー株は急騰、ピーク時、レイケイ保有株の価値は2000億円を超えた。それで気持ちが大きくなったようだ。F1参戦には業界の重鎮、バーニー・エクレストン氏のお墨付きがあったし、欧州のプライベートバンカーがアドバイザーに付いていた。
00年3月、ルクセンブルクに統括会社「アジア・モーター・テクノロジー・ホールディングス」を設立。当初は「ミナルディ」や「ザウバー」をチーム丸ごと買収することが模索されたが頓挫。同年12月になり、仏プジョーのF1エンジン部門を5000万ユーロで買収することに成功した。ゆくゆくは英国でシャシーまで自社開発し、フル参戦を目指す遠大な計画が描かれた。レイケイは保有するソニー株を担保に入れ、欧米の大手銀行から230億円を借り入れ、軍資金とした。
F1参戦は秘密裏に行われた。スポンサーを明かさない謎のエンジン・サプライヤー「アジアテック」はミナルディと組んで01年シーズンに颯爽とデビューを果たした。が、その運営計画はあまりにずさん。広告収入を上げる方策がないまま、エンジンの無償提供を続けたのである。そうこうするうち、同年11月に仏のエンジン開発会社は現地の商事裁判所に倒産手続きを申し立ててしまう。
そんな折も折、ITバブルは弾け、ソニーの株価が急落。レイケイは01年夏以降、銀行に追加担保の差し入れを求められるようになる。やがて担保株は容赦なく市場で売却処分されていった。結局、資金が続かなくなったアジアテックはわずか2シーズンで姿を消した。その間、新潟県のスキー場は赤字経営が続き、新たに買収した米国の大規模スキー場も足を引っ張った。自家用ジェット機や商業施設などハワイに保有する資産の売却でなんとか資金繰りをつけるしかなく、ほどなく虎の子のソニー株も底をついた。
距離を置く一族
最後の砦となったのが01年に買収し、家業を引き継がせていた調味料メーカー、旧マルキン忠勇(現JFLA)である。しかし不運は重なった。レイケイはF1ビジネスの損失処理をめぐり国税当局から多額の申告漏れを指摘された。英夫氏にそれを納める余力はもはやない。11年10月、英夫氏が箱根に所有する別荘は国税当局により競売にかけられてしまう。5カ月後、それを救ったのは実母の故良子氏。裏では盛田家の美術品コレクションが売り払われていた。官報公告によれば、10年9月に良子氏は絵画3点を5億8000万円で東京国立近代美術館に売却、12年9月にも2億1000万円で売り払っている。