独裁者の存在
共通する人間的ドラマの2つめは、両社とも“独裁者”が存在したことだ。東芝にはトップの暴走を止める策として財務部、経営監査部、リスクマネジメント部、有報等開示委員会、取締役会、監査委員会などのチェック機関が幾重にも用意されていたが、結果として誰ひとり、“独裁者”の暴走を止められなかったのだ。まさしく、コーポレートガバナンスの欠如だ。
東芝の主人公は、2005年から09年まで社長を務めた西田厚聡氏である。強烈な個性の持ち主だ。報道されているように、西田氏はイランの現地法人に入社して本社トップに登りつめた異色の経歴を持つ。世界初のノートパソコン「ダイナブック」の販路を欧州で拡大させ、その後、米国市場でも売りまくり世界シェアNo.1を築くなど辣腕を発揮した。
その剛腕ぶりは、米ウエスチングハウス買収劇にみることができる。土壇場において、西田氏の鶴の一声で買収額をライバルだった三菱重工業も唖然とするほど上積みし、一気に決着を図ったといわれている。“大博打”である。経営者としての並外れた手腕を見せつけたのだ。当時、サラリーマン上がりの経営者としては珍しく、リスクをとって果敢な経営判断を下せる経営者だと評価された。
私は06年4月、社長になって1年目の西田氏にインタビューをする機会があった。経営観や人材観という大きなテーマについて約1時間のインタビューだった。国際畑を歩いてきた西田氏の発言に横文字が多いのは当然として、思想家の安岡正篤の言葉を挙げたかと思えば、中国・明の思想家、呂新吾の著書『呻吟語』にある「実心」「実言」「実行」を引き、次のように語った。
「私は、真に心のなかで思っていることを、嘘のない正しい言葉にして相手に伝え、責任をもって実行することがコミュニケーションの大前提だと思っています。言葉とは、真実や真理を認識し、それを伝達することができる唯一の知的ツールなのです」
さらに会長時代に、滅多にしないといわれる西田氏の講演を聞く機会にも恵まれた。アリストテレスやソクラテスをはじめ、古今東西の哲学や政治学などを縦横無尽に駆使し、経営論を展開して聴衆を圧倒したものだ。博覧強記とは、この人のためにある言葉だと感じいった。とてつもない教養人である。
私はこれまで、数えきれないほどの一流企業トップと会ってきたが、西田氏の博覧強記ぶりと迫力、威圧感のある滔々とした語り口は、まさしく出色といってよかった。実際その後、原発事業がリーマン・ショックや東京電力福島第一原発事故の逆風にさらされなければ、西田氏は多分、東芝“中興の祖”、さらに運があれば彼が強く願望した経団連会長のポストにも就いていたのではないだろうか。