いまにして思えば、西田氏の圧倒的な弁舌の前に立った部下は、反論の糸口を見つけることさえできなかっただろう。いや、直立不動の姿勢で御高説を拝聴するしかなかっただろう。実績を伴い、威圧感をみなぎらせ、強いオーラを発散する“独裁者”西田氏に、社内の誰も逆らえなかった。
まさしく第三者委員会が指摘した、東芝の例の「上司の意向に逆らえない企業風土」とは、こう考えていくと合点がいくのだ。
徹底したトップダウン式
これに対して、東芝の西田氏に匹敵するVWの“独裁者”は、前CEOのマルティン・ヴィンターコーン氏だ。よく知られているように、もともとVWは第二次世界大戦中のナチス政権下でアドルフ・ヒトラーの国民車構想を汲んで設立された国策企業だ。つまり、VWには国家の意思が刻み込まれているのだ。
誤解を恐れずにいえば、国策企業として生まれたVWに、徹底したトップダウン式の企業体質が育まれたのは不思議なことではない。
だから、VWにもまた、「上司の意向に逆らえない企業風土」があったことは容易に想像される。厳格なヒエラルキーのもと、万事がトップダウンで決定され、上司にモノ申すことが難しい社風である。
というのは、不正ソフト搭載が始まった08年当時、ヒエラルキーのトップに君臨したのがヴィンターコーン氏だった。金属物理学の博士号をもつヴィンターコーン氏は、部品メーカーのロバート・ボッシュの技術者出身だ。1993年以降、VWグループで品質保証部門長などマネジメント業務に携わった。
実はヴィンターコーン氏の背後には、もともと世界一の目標を掲げ、やはり“独裁者”として君臨してきたフェルディナント・ピエヒ氏の影があった。VWで国民車「ビートル」を設計したのが、ポルシェの生みの親でもあるフェルディナント・ポルシェ氏である。ピエヒ氏は、その孫だ。
天才的技術者として知られたピエヒ氏は、93年にVW社長に就任するや、トップとしても辣腕をふるった。次々と欧州の名門自動車メーカーを買収するなど拡大路線を走った。02年に監査役会会長に就任すると、人事権を含めてVWに関するすべてを掌握した。
ヴィンターコーン氏は07年にピエヒ氏に引き上げられてVWのCEO(最高経営責任者)に就任したのだ。ヴィンターコーン氏は、就任直後からピエヒ氏と二人三脚で強烈な拡大路線を掲げてひた走る。VWの世界販売台数は05年の約500万台から、14年には1000万台超と倍増した。