「外付けHDDは1万円」「データ復旧サービスは30万円」はビジネス的示唆に富む
以前、PCにつないでいる外付けハードディスク(HDD)が、突然つながらなくなったことがありました。他のPCにつないでも認識されなくなったので、HDDに不具合が起きたようでした。仕事上の書類や資料など、すべてのデジタルデータが引き出せなくなるわけですから、これは大きなトラブルです。
普段から、別のHDDやクラウドにバックアップをとっておけば安心とはわかっていても、実行できていない人も多いのではないでしょうか。
「データ復旧サービス」のサービス力
そのときは、データ復旧サービスを検索し、最も技術力がありそうなところを探しました。その結果、世界トップクラスの技術や特許を保有していて、法人・個人の両方でデータトラブルを何万件も解決してきた実績のある新興企業が見つかり、すぐ電話をしました。個人の依頼者には、大学教授や医師・研究員の方が何人もいて、信頼性が高そうでした。
電話での受付は24時間体制でした。また、21時くらいまでにオフィスにHDDを持ち込めば、すぐ診断・修理等の対応をしてもらえるシステムになっていました。法人でも個人でも、データトラブルの解決は緊急を要するので、その顧客ニーズや顧客心理に対応した体制でした。ちなみにIT企業で24時間体制と聞くと、労働環境が心配になりますが、その後担当者の方に会ったときに聞くと、シフトをとっているので問題ないとのことでした。
オフィスに出向くと、1時間ほどでエンジニアの方がHDDの状態を診断してくれました。また、データ復旧の緊急度を聞いて、通常1週間かかるところを2日程度で対応してくれるなど、そのスピード感に驚きました。一般的なカスタマーセンターや修理部門にありがちなマニュアル対応ではなく、個々の顧客のニーズに対応しようという姿勢が、窓口担当者にも技術担当者にも見えました。この新興企業は従業員100名ちょっとでしたが、「少人数だから小回りがきく」というよりも「顧客と向き合う」という理念が浸透しているように見受けられました。
一方、価格は30万円台。想像以上に高かったため、印象に残っています。
しかし、官公庁・大学・企業などの法人、個人を問わず、データトラブルを解決しなくていいという選択肢はありませんし、価格を時間より優先するところは少ないでしょう。データを、即急で確実に復旧することは、この金額が示すように大きな価値を持っているということです。
また、筆者の場合でいえば、その後に備えて、トラブルやデータのバックアップをサポートしてくれるサブスクリプションのサービスに加入したため、この企業は継続的な関係と収益を得ることにも成功したといえます。
このデータ復旧サービスは、仕事上のデータだけでなく、プライベートでの依頼も多いようです。例えば、家族の何年間にもわたる写真・ビデオなどのデータを復旧させるといった依頼です。データ上の記録とはいえ、家族の思い出がすべて消えてしまったと思ったものが復旧できるのであれば、高額でも支払うだけの価値があると思う人は多いのではないでしょうか。
ペイン(困り事)を解決するサービスが、大きな価値を生む
このデータ復旧サービスは、ビジネス上の多くの示唆を含んでいます。
まず、ひとつめ。「すべてのビジネスはサービス化が進む」といわれていますが、それが端的に表れた事例ではないでしょうか。外付けHDDという機器は、1TBで1万円もしません。価格競争も激しそうです。しかし、このデータ復旧サービスは30万円以上の案件が多いにもかかわらず、急成長しています。
改めて、データ復旧サービスを事業にしている企業について調べてみると、例えば国内シェアNo.1のデジタルデータソリューション株式会社(DDS)は、2020年に売上100億円、2016年には1000億円の事業目標を掲げています。ユーザーの立場から見れば、データを確実・安全に保存し利用できることに価値があるのであって、HDDという機器そのものに大きな価値があるわけではないということです。
新しいサービスを生み出すには、人々のどんなペイン(悩み事や困り事)を解決するか、という考え方がありますが、まさにデータ喪失はペインそのもの。しかも、このペインは30万円以上支払っても解決したい大きなペインであり、それを解決してくれるデータ復旧サービスはそれだけの大きな価値を生み出しているといえます。
モノをつくるメーカーでも、モノを売っておしまいではなく、売ってからも顧客と関係を継続するビジネスモデルをつくろうとしています。今回のケースであれば、HDDメーカーのほうが機器の構造に詳しいはずで、より優れたデータ復旧サービスやサブスクリプションのメンテナンスがあってもいいのではないでしょうか。
2つめ。UX(User Experience/ユーザー体験)やCX(Customer Experience/顧客体験)という言葉を聞いたことがあるでしょうか。使う人の立場から、よりよい体験を提供しようという考え方です。UXやCXは、サービスデザイン(サービスの設計)の根幹を成します。
前述したように、電話の受付から技術者の説明まで、顧客と向き合う姿勢があり、復旧期間を短縮するスピード感など、顧客の期待を上回るサービスは、誰かに勧めたいと思うほどの「体験価値」を生み出します。
一方、多くのメーカーは、機器が故障した場合のサポートセンターなどは、ビジネス化を図るのとは逆に、コスト部門として縮小する傾向にあるのではないでしょうか。電話受付時間は平日の勤務時間のみ、電話はたいていつながらず、待ち時間が長く、オペレーターから担当者につながるまでたらい回しにされることもあり、2~3回は同じ説明をしなくてはならず、電話口ではマニュアル対応だけで、専門知識をもった人はおらず――。
こういう体験では、そのメーカーへの愛着はまったく生まれませんし、ビジネスのサービス化はかなり難しそうです。
メーカーで唯一GAFAに入っているアップルは、サービスも含めて「体験」をとても大切にしています。iPhoneを使う、いろいろなアプリを使う、ゲームをしたり音楽を聞いたりするすべての体験がアップルの価値を高めています。メンテナンスでも、AppleCare+(アップルケアプラス)やアップルストアでの体験は、ブランド価値を高めているのではないでしょうか。
また、アマゾンは、「顧客第一主義」をお題目ではなく、どうすれば顧客のペインを解消し、顧客が嬉しいと感じる「体験」を提供できるか、ひたすら実践し本気で取り組むことで成長し続けてきた企業です。
顧客のペインは、データ喪失のように明白なものばかりではありません。人々が仕方ないと諦めていること、当たり前だといつもしていることのなかにも、人々のペインは隠されています。人々が自分でも気付いていないペイン。そのペインを見つけ出し解決することが、「体験価値」を生み出し、大きな事業につながるのです。
(文=桶谷功/株式会社インサイト代表取締役)