それでも三菱自を救済したのは、グループ内の結束を守るためだといわれている。そこにあるのは資本の論理ではなく、三菱という名門のメンツと結束の維持だ。そのため、三菱商事で執行役員自動車事業本部長だった益子修氏を三菱自の社長として送り込んだ。
三菱自は開発現場だけを見れば普通の会社だが、幹部クラスと話をすると様相が一変し、三菱グループの存在が見え隠れすることがある。おそらく、三菱グループの一員として「恥はかけない」といった心理がどこかで働くのだろう。
それと同時に「寄らば大樹の陰」で「何かあったらグループが助けてくれる」という甘えがあり、大企業病を社内で見かけることも珍しくない。それが危機感の欠如を生み、「なんとかなる」といった考えが法令遵守意識を希薄にさせているだろう。
最近の三菱グループ内では、このような大企業病が蔓延している。一例をあげると、造船事業における大型客船の大幅納期遅れと見込み違いの大幅赤字。さらに国産旅客機MRJの大幅納期遅れ。いずれも、社内説明では経験と知見の不足が理由にあげられているが、「なんとかなる」といった甘えでもある。
開発力の低下
さらに、三菱自を追いつめているのは、開発力の低下と資金力不足だ。ホンダも事業拡大による開発力の低下で苦戦をしているが、それでも開発費(14年度)に6626億円を投下している。一方、三菱自のそれは746億円(同)と圧倒的に少ない。前回のリコール発覚後の経費削減、人員削減などで三菱自は財務的には立ち直ったが、その代償として開発力の低下による影響は大きい。新型車開発で目標値に達せず、不正行為に手をつけた今回の経緯は容易に想像できる。
しかし、三菱自に希望がないわけではない。現社長の相川哲朗氏は三菱重工元会長、相川賢太郎氏を父にする血筋だが、相川氏は紛れもなく日本の自動車業界が誇れる本物の「カーガイ(クルマ好き)」の一人だ。相川氏がいなければ、三菱自から独創的な電気自動車「アイ・ミーブ」は生まれなかった。リコール騒動後、社内で孤軍奮闘していた同プロジェクトを強引に進めてきたのも相川氏(05年当時、常務)だ。
それだけに、なぜ企業再生の修羅場を一緒にくぐってきた同社開発関係者が今回のような不祥事を起こしたのか、理解に苦しむ人も多いだろう。
(文=塚本潔/ジャーナリスト)