燃費偽装問題で揺れる三菱自動車工業が、軽自動車で提携する日産自動車の傘下に入り再生を目指すことになった。両社の資本業務提携で表向きは自動車販売で世界のトップグループの仲間入りを果たすことになるが、三菱自が“負の資産”であることに変わりはない。
三菱自の病巣は相当根深い。2000年と04年の相次ぐリコール隠しをきっかけに、外部有識者による「企業倫理委員会」の設置や新たな企業理念を制定するなど、企業風土を刷新し生まれ変わったはずであった。にもかかわらず今回の軽4車種の燃費データ改竄だけではなく、1991年から25年間にわたり燃費の不正測定を隠蔽し続けてきたことも発覚している。
隠蔽の全容は明らかにされていないが、経営トップの発言や報道などである程度知ることができる。燃費偽装の舞台は開発部門の性能実験部。ここが子会社の三菱自動車エンジニアリング(MAE)に燃費開発を委託していた。他社の燃費を念頭に目標燃費を5回繰り返し上方修正するが、実車の走行試験では目標を達成できなかった。MAEの管理職が性能実験部の管理職に相談したところ、有利な数値を抽出してデータを算出するように指示したことで改竄が行われた。
もちろん重大な不正が2人の管理職の間だけで行われたわけではない。2人を突き動かした組織的関与も疑われている。
本社の開発本部長が会議で「燃費を訴求するからには発売時に一番でなければならない。0.1キロでもオーバー達成できるよう追求を」と発言。車種の販売・生産責任者のプロダクト・エグゼクティブ(PX)も同様の発言を行い、日産との合弁会社に出向していたプロジェクトマネージャーが性能実験部とMAEの管理職に高圧的な言動で目標達成を指示するなど、上級幹部たちが相当のプレッシャーをかけていたことがわかっている。
人事の硬直化による閉鎖的組織
目標を達成するために幹部が社員に圧力をかけることはどこの会社でもあることだが、三菱自の幹部は燃費試験のやり方やルールを知らずに発破をかけていた疑いもある。
相川哲郎社長は開発部門出身の技術者であり、開発部門の責任者を務めていた時期もある。4月26日の記者会見で「(燃費試験のやり方やルールは)私はまったく承知していない。燃費試験は実務の仕事で、担当者以外は通常は関与しない。車の開発責任者がこのことを知らないと、開発の取りまとめができないわけではない」と発言している。