東京都内の西武池袋線や西武新宿線の沿線で生活している人なら、誰もが知っているであろう中華料理チェーン「手もみラーメン 福しん」。飲食店としては珍しい青い看板と謎の顔マーク、そして、安くおいしく、確実におなかいっぱいになるメニューの数々は、地元民に愛され続けている。
しかし、「日高屋」「幸楽苑」「餃子の王将」などの大手に比べると、福しんの出店規模はかなり小さい上、目立った宣伝展開もなく、いかにも地味な存在だ。そこには、「地元密着」を掲げ、あえて拡大戦略をとらない同社特有の経営戦略があるという。
そこで、福しんの経営幹部にインタビューを行い、今どき珍しいともいえる良心的な外食チェーンの秘密に迫った。
「地元密着」のために、あえて株式上場を断念
「福しんは、創業当初から直営店舗だけです。現在、1店舗だけフランチャイズがありますが、あまり手を広げない方針でやってきました。実は、日高屋さんの会長と当社の会長は昔から仲が良く、日高屋さんが最初にチェーン化する際には、店の規模や出店立地、メニュー、価格など、福しんのモデルを踏襲したと聞いています」
そう語るのは、福しんを運営する株式会社福しんの専務取締役・坂之上進氏だ。同社の創業は、東京オリンピックが行われた1964年の11月。東京・豊島区の池袋駅南端に位置する都道池袋架道橋、通称「びっくりガード」のそばにあった『福新』という中華料理店が原点である。
「当時まだ20歳ぐらいだった当社の会長が、その店で働いていたのです。そこからのれん分けするようなかたちで独立し、東長崎に出店したのが1号店になります。会社設立に至ったのは72年10月で、その頃から店名がひらがなの『福しん』になりました。
青い看板のことはよく聞かれるのですが、特に意味はありません。顔のマークは『ウィンキーちゃん』といって、会長の娘さんがおいしい物を食べた時の顔をモチーフにしたものです。今となっては誰が描いたのか、もうわからないのですが……」(坂之上氏)
この「ウィンキーちゃん」を目印にした福しんは、現在、都内を中心に37店舗を展開している。福しんをモデルにしたという日高屋が380店舗以上、幸楽苑が500店舗以上の大規模展開をしているなかで、その経営戦略は堅実すぎるようにも見える。
坂之上氏によると、福しんも十数年前、株式上場を視野に入れ、チェーンストア理論を導入した経営にシフトしたこともあったという。しかし、この時、あらためて社内で再確認されたのが、現在の「地元密着型」というコンセプトだった。
「やはり、福しんは地域で愛されて、お客さんから応援してもらえるような店をひとつずつ丁寧につくっていかなくてはいけない。店舗の数ばかりを増やしても、人材育成がしっかりできていなければ、結局は会社としても弱体化していきます。福しんが福しんのままで行くためには、上場しないほうがいいという結論に至ったのです」(同)