丸源ビル、東京国税局との「40年戦争」 銀座にビル数十棟、100億単位の資産は誰が引き継ぐ!?
(画像は「足成」より)
東京地検特捜部は3月5日、飲食店ビルを展開する丸源(東京都中央区)社長の川本容疑者を法人税法違反の容疑で逮捕した。夜の銀座で、丸の中に「源」の字の赤いネオンがひときわ目立つ丸源ビルのオーナーである。
同社には、昨年4月に東京国税局が強制調査(査察)に入っていた。特捜部の発表によると、脱税の疑いがもたれている不動産会社は東京・銀座に2009年に設立され、北九州市に移転後の昨年4月に清算された「東京商事」。ビルに入居する飲食店の賃料収入を除外したり、ビルの売却損を架空計上したりする方法で、11年12月期までの3年間に28億8400万円の法人所得を隠し、8億6200万円を脱税した疑いが持たれている。
「税金を払うのはバカだ」。こう言ってはばからなかった川本容疑者は、税務署OBを多数雇い入れて、あの手この手の節税対策を練り上げてきた。国税は査察に動いたが、脱税の決定的証拠をつかめなかった。国税との40年間にわたる戦いを、川本容疑者は「無敗」と豪語してきた。
節税の方法は単純で、赤字決算にすることだ。ビルなどの賃料収入を、別のビル用地の買収費用に充てるなどして、納税しなくて済むように巧妙に細工した。読売新聞(3月6日付)によると川本容疑者は飲食ビルの会社を始めた1960年から2012年までにグループ会社を少なくとも11社設立した後、計9回の商号変更と計16回の本店移転を繰り返し、最終的に9社を清算していたという。
こうしたやり方でグループ会社を赤字決算にして、税金を納めなかった。国税当局にとって、丸源と川本容疑者を脱税で摘発することが悲願だった。丸源対国税の40年戦争に決着をつけるのが、今回の摘発の狙いである。節税法を編み出し国税の鼻をあかすことを無上の喜びとする川本容疑者が、脱税を認めたわけがない。東京地検特捜部の調べに対して「脱税の意図はなかった」と容疑を否認している。
今後は司法の場で、脱税か節税かが争われることになる。
川本容疑者は会社だけでなく、個人についても節税対策に抜かりはなかった。税務署が公表してきた高額所得者番付に一度も載ったことがない。現在も、個人名義の資産はおそらく皆無だろう。東京・渋谷に地上3階、地下1階建ての豪邸を持ちながら、普段は高級ホテルで暮らす。80代になっても、細身のジーンズとブーツをはきこなし、6000万円の腕時計を着け、1億円のロールスロイスに乗り、周囲には「日本一の資産家」と称していた。
川本容疑者は1932年、福岡県小倉市(現・北九州市)に生まれた。実家は丸源を名乗る呉服店であった。地元小倉の私立常磐高校を卒業。慶應義塾大学に聴講生として入学、1年後に2年生に正式編入する予定だったが、その直前に父親から家業を継ぐようにと呼び戻された。進学をあきらめる代わりに商売は自由にしていいと言われ、呉服のほかに衣料まで扱う店舗にした。
実家は北九州市内に木造の貸家を持っていたが、これを8階建てのビルに改築したのが貸ビル業に踏み出す第一歩となった。当初は、企業をテナントとするオフィスビルだった。オフィスビルは家主の企画力&アイデアで収益構造を変えることができず、事業としてはおもしろみが少ない。スーパーマーケットの勃興を目の当たりにした川本容疑者は衣料品の商売に見切りをつけ、本格的に飲食店ビルに転換した。川本容疑者、27歳のときのことだ。
入店を希望するスナックの経営者と面接し、水商売に向いているかどうかの適性を見極めた。川本自ら飲食店の設計図を描き、初期投資を抑えるために家具を貸し出した。居抜きである。借り主は設備投資をしなくてもいいわけで、極端なことを言えば家賃だけ払えば商売ができるのだから楽だ。これが評判になった。日本経済が高度成長へと飛翔しようとしていた時期だ。サラリーマンの懐具合がよくなるとともに、スナックやバーが賑わった。
小倉で当てた川本容疑者は、九州最大の繁華街、福岡市の中洲に進出した。中洲で丸源の知名度を高めてから、東京進出の機会をうかがっていた。72年、40歳のとき、東京・六本木に持った飲食店ビルが東京の第1号ビルだった。
東京で飛躍するのは、オイルショックが日本経済を直撃した翌年の74年。42歳の川本容疑者は、まだ飲食ビルが少なかった銀座の目抜き通りに10階建てのビルを建てた。その後もビルの建設と買収を続け、80年までに7棟の丸源ビルが銀座の街を占拠した。700店近いクラブやバーが入居していた。
バブルの絶頂期には、銀座、赤坂、六本木や、福岡・中洲に60棟のビルを持ち、入居しているテナント数は5900に上った。丸源はネオン街の大家と呼ばれた。
80年頃、新築したビルからご祝儀名目で現金(500円札)をばらまき、バブル期には米州・ハワイ有数の豪邸を50億円以上出して購入(改築に10億円かけたと本人は言っている)するなどした。バブル崩壊で同業の飲食店ビルのオーナーが次々と表舞台から去ったが、川本容疑者は乗り切った。これは、地価高騰で含み資産が膨らみ、これを担保に銀行からいくらでもカネを引っ張ることができた時代に、同業者は安易に飲食店ビルを建てたが、川本容疑者はそうしていなかったからだ。
川本容疑者は、銀行の誘いに乗って採算の合わない割高な土地に手を出すことは絶対になかった。銀行の融資を極力避け、テナントからの賃料収入を経営の基盤にしてきた。不動産会社の経営者として、極めてオーソドックスで堅実な方法をとってきたわけだ。「バブルに乗らなかった」ことが川本容疑者の自慢の種だった。
バブル崩壊後も丸源は成長を続けた。99年9月号の米経済誌「フォーブス」では川本容疑者を「銀座の不動産王」として取り上げている。日本最大級の大家さんとして、家賃収入は年間推定100億円と紹介していた。
現在、六本木や赤坂、新宿のビルはすべて売却。丸源ビルは20数棟にとどまり、テナント数は800。銀座のビルの平均の空室率は5~6%だが、丸源ビルは90%近くが空いている。飲食店ビルの経営には熱意を失ったが、新しい節税法を考案することが生きがいになっている。国税を相手どって、決して負けない、不敗の節税法を編み出すことが、彼の人生の活力源だった。
「他人に頼るな」と親に言われて育った川本容疑者が信頼するのは、自分の頭だけ。結婚歴がなく子供もおらず、家族もいない。さまざまな名義に分散されている莫大な資産を、誰が引き継ぐのか。
孤独な大富豪の晩年は寂しいもののようだ。
(文=編集部)