出資比率が20%以上50%未満の持分法適用会社の出資比率を50%超に高め、子会社にして積極的に経営を主導していく。その第1弾が、ローソンの子会社化なのである。三菱商事の現経営陣にとって、ローソンの業績は満足のいくものではなかった。
コンビニ3位に転落したローソン
ローソンはダイエーのコンビニとして誕生した。01年2月、三菱商事は経営が悪化したダイエーに代わってローソンの筆頭株主になった。
「3年で結果を出せ」――。これは当時、三菱商事社長だった佐々木幹夫氏が、ダイエーやローソンを担当していた新浪剛史氏に与えたミッションだ。
三菱商事は2000億円以上を投じてローソンの株式を取得したが、企業価値はすでに半分以下になっていた。ローソンの経営を立て直して株価を引き上げるという差し迫った課題を解決するため02年5月、新浪氏はローソンの社長に就いた。
43歳の若さで、大商社の“安全地帯”からコンビニの“荒野”に飛び込んだ新浪氏をメディアは「コンビニ界の風雲児」と持ち上げた。新浪氏はローソンの立て直しに、ひとまず成功した。12年間ローソン社長を務め、11年連続増益を達成した。
彼の最大の功績は、ローソンを支える加盟店のオーナーの信頼を取り戻したことだ。14年5月の株主総会では、株主として出席していた加盟店のオーナーから新浪コールが巻き起こり、急遽、新浪氏が壇に登る一幕があった。新浪氏にとって加盟店のオーナーから万雷の拍手で見送られて社長を辞任したことは、経営者として何よりの勲章だった。
反面、アイデア倒れも目立った。業界首位のセブン-イレブンとは違うコンビニづくりに果敢に取り組んだが、うまくいったとは言い難い。
生鮮食品を扱うミニスーパーと100円ショップの機能を融合させた「ローソンストア100」は、新浪氏の“成功物語”の聖地だった。しかし、売り場面積が限られ取り扱う商品に特徴がなかったことから、食品スーパーとの競争に敗れ、新浪氏がローソンを去るとすぐに、約1100店あった店舗のうち約200店が完全閉店、約60店が業態転換した。
10年7月、中国重慶市に重慶ローソン1号店を開店。日系コンビニ初の内陸部への進出と話題になった。現地を訪れた新浪氏は「今後10年で(中国で)5000店、いや1万店にまで増やす」とぶち上げた。しかし、日中関係の悪化などで出店は16年2月末時点で655店にとどまる。6年が経過したが10分の1にも至っておらず、1万店出店計画は幻に終わったといえる。