孫氏は、時価総額でアップルを追い抜くことを悲願としている。新たに立ち上げるファンドは、ソフトバンクの連結決算の対象に組み入れる。巨額なオイルマネーを活用してIT企業への投資を拡大。グループ全体の時価総額でアップルを追い上げるという戦略だ。
だが、有利子負債は12兆3720億円(16年6月末時点)。アームの3.3兆円の買収に続く、投資ファンドへの2.6兆円の出資で、さらに有利子負債は膨らむ。アナリストのなかからは、財務内容の悪化を懸念する声が出ている。
投資家から実業家、そして投資家へ回帰
孫氏は、まもなく60歳の還暦を迎える。この時期に、事業家から投資家へ本卦還りをした。孫氏の時代の潮流を捉える嗅覚は天下一品だ。
1994年7月、ソフトバンクが株式を公開して得た資金で、孫氏は次々と企業を買収した。この時、神風が吹いた。世界中にインターネット旋風が吹き荒れ、空前のITバブルがやってきた。2000年2月、ソフトバンクの株式の時価総額は21兆円を超え、トヨタ自動車を抜いて日本一になった。だが、ITバブルは、あえなく崩壊した。
1990年代後半、孫氏の軍師を務めていたのは、野村證券からスカウトした北尾吉孝氏。北尾氏の指南により資本市場から資金を調達。国内外でM&A(合併・買収)を拡大した。この時の代表的な案件が新興株式市場、ナスダック・ジャパンの創設と日本債券信用銀行(現あおぞら銀行)の買収だ。
孫氏の変わり身は早かった。富士銀行(現みずほ銀行)副頭取、安田信託銀行(現みずほ信託銀行)会長を務めた笠井和彦氏を三顧の礼をもって軍師に招いた。
笠井氏は「結果を出さないと社会から評価されない」として実業を重視した。北尾時代の投資路線と決別。ナスダック・ジャパンからも手を引き、あおぞら銀行株式を売却した。北尾氏はソフバンクを去り、現在はSBIホールディングスの社長となっている。
笠井氏の指南に基づき、日本テレコム(現ソフトバンク)、ボーダフォン日本法人(現ソフトバンク)、米スプリント・ネクステルを買収し、孫氏は携帯電話会社を経営する実業家に変身した。
しかし、米スプリントの経営は悪化。笠井氏も13年に死去した。そして、孫氏は再び投資家へと舵を切った。