今月14、15日、大学入試センター試験が行われた。大手書店には私立大学の願書を集めたコーナーが設けられる季節になった。例年この季節になると、受験生から質問の電話やFAXが来る。
「同じレベルの大学のどちらを第一志望にすべきか」
「A大学とB大学、どちらを受ける(選ぶ)べきか」
残念ながら、ほとんど応じられない。筆者は大学業界に関する書籍や執筆記事が多いため、のちのちクレーム情報を流す人もいるので、慎重に対応する必要があるからだ。それでも時間が合えば、相談を受ける場合もある。もっとも、回答は以下のように概ね同じようなものになってしまう。
「自らの感覚を最優先する、すなわち目指す大学のキャンパスを訪ねて、自身の体感で決めよ」
いたずらに自己責任を強いているわけではない。もとより若者は、他の年代にはない豊かな感受性や鋭敏な感覚を持っている。経験のある方は多いと思うが、その種の勘や体感は正しい解を導くことが多いものだ。
また、他の事柄とは異なり、年長者に現在の大学選びを委ねるのは、どう考えても相応しくないこともある。ありていに言えば、時代や環境が違うのだ。たとえば団塊以上のシニア世代では、大学への進学率は1割前後に留まる。選ばれた者だけが大学に進学したわけであり、全体の半分が進学する現在とはまるで景色が異なる。
多くの受験生の保護者にあたる40~50代にしても、進学率は2割から3割台だった。特に第二次ベビーブーム世代(1970年代前半生まれ)は最後の受験戦争世代であり、ほとんどの大学の難易度が著しく上昇した経験をしている。いずれにしても彼我の違いは大きく、当時の認識で今の大学や受験システムを論じるのは無理があるだろう。
それならば比較的現在の環境に近かった30代以下はどうか。これもまた問題はある。自身の受験体験が強く残っているだけに、好悪の感情が出やすい傾向があるからだ。不合格に終わった大学の評価を一段と低く見たがる、さらには貶めたがるのは、よほどの聖人君子でない限り避けられない心理ではないか。
つまるところ大学選びは、その沿革や特色、学部構成、規模、男女比、そして実社会での各種のデータなどを踏まえて取捨選択して、最終的には受験生自身が大学に足を運び判断するのがもっとも望ましい方法になる。