帰国後、外資系会社を経て、オーストラリアのマーケティング会社の社長秘書として2年間、現地で働いた。ここで「誰かが休むと、どこからともなく優秀な人がきてサーッと事務を処理していく」人材派遣業の存在を知る。
73年にテンプスタッフ株式会社を資本金100万円で設立。東京・六本木にわずか8坪の住宅兼オフィスを借り、電話と事務机ひとつでスタートした。38歳という遅咲きの起業だった。外国企業が日本に進出する第1次の時期と重なり、外資系銀行が秘書やオペレーターを募集していた。うまくタイミングが合い、トントン拍子で会社は成長し、06年3月に東証1部に上場した。
篠原氏はパソナグループ代表取締役グループ代表の南部靖之氏(61)とともに日本に人材サービス市場をつくりあげた。米『フォーチュン』誌による「世界最強の女性経営者」に12年連続で選ばれている。
一方のインテリジェンスは、USEN元社長の宇野康秀氏(49)が創業した会社。宇野氏は63年、大阪府生まれ。明治学院大学法学部を卒業して、リクルートの不動産子会社、リクルートコスモス(現・コスモイニシア)に入社。もともと起業するつもりだった彼は89年6月、リクルート出身者とともに独立して人材紹介サービスのインテリジェンスを立ち上げた。弱冠、25歳で起業した。
家業である大阪有線放送(現・USEN)を継ぐつもりはなかったが、父親が病に倒れたため急遽、呼び戻された。98年7月、インテリジェンスの社長を辞め、大阪有線放送の社長に転じた。インテリジェンスは00年4月に店頭公開(のちジャスダック上場)を果した。
宇野氏はUSENとインテリジェンスの筆頭株主だったが、両社は資本でも事業面でも関係は薄かった。USENがインテリジェンスの取り込みに動くのは2006年のことだ。
インテリジェンスとアルバイトの紹介を手掛ける学生援護会の合併に際して、USENは学生援護会の筆頭株主の米投資ファンド、カーライルグループから学生援護会の株式を買い取った。さらに、USENはインテリジェンスの筆頭株主である宇野氏から同社株式を取得。USENは学生援護会を合併したインテリジェンスの40.0%を保有する筆頭株主となった。
08年9月、USENは株式交換でインテリジェンスを完全子会社にした。上場は廃止され、インテリジェンスの一般株主から、USENのオーナーである宇野氏に対して「上場会社を私物化した暴挙」との非難が浴びせられた。業績不振のUSEN株式を株式交換で交付されてもインテリジェンスの株主には何のメリットもなかったからだ。
USENは業績の悪化に見舞われ債務超過を回避するために、10年7月に虎の子のインテリジェンスを325億円でKKRに売却した。宇野氏は同年11月、経営責任を取って社長と取締役を退任。経営の第一線から退き、新設されたUSENグループ会長になった。
ルーツでもあり、思い入れが強かったインテリジェンスの買い戻しは、結局、叶わなかった。かつて「六本木ヒルズ族の兄貴分」といわれた宇野康秀氏の時代は、これで完全に終わった。
(文=編集部)