第二に、今日の日本産業は、自動車産業といえども理不尽な要求を甘受するほど体力は強くない。80~90年代には、品質、性能、そしてコストのいずれをとってみても、日本製品の競争力は高く、弱った大国からの手前勝手な要求を飲むゆとりがあった。しかし、現在、いまだに世界で高い競争力を有する自動車産業といえども、かつての余裕はない。少しの譲歩が壊滅的になるおそれがある。決して大げさではない。
既視感が漂う新経済対話
安倍政権はこのトランプ政策に本当に警戒感を持って臨んでいるのだろうか。決してそうは思えない。就任後のトランプ大統領との初会談に臨むにあたって、「新経済対話」という提案を用意した。アメリカのインフラ投資への協力や日米自動車産業に関して、日米政府でお互いの立場を語り合う場の設定ということのようだ。理不尽な要求を公言する大統領に対して、一見すると理性的な対応を用意したようにも見える。しかし、少し歴史を振り返ってみよう。
「新経済対話」と聞いて、89年に当時の父親ブッシュ大統領が日本政府に提案した「日米構造協議」を思い出した。貿易不均衡は日本だけに問題があるわけではなく、米国にも問題がある。両国でそれぞれの構造的な問題を分析協議してお互いに解決していこうという趣旨であったと記憶している。提案した主体は異なるし細部は当然異なるものの、似たような趣旨である。これを想起した人は筆者だけではないだろう。
過去の構造協議で何が生じたか
協議自体の趣旨は結構であったが、しょせん政治の世界である。アメリカの狙いは日本の競争力の足元を切り崩すことにあったと、結果からみればそう思わざるを得ない。
自動車産業では、アメリカ車の販売が容易になるような規制緩和や逆輸入など大変無駄なことをさせられたことが思い出される。この産業は競争力が強かったので大して打撃を受けはしなかったが、問題はエレクトロニクス産業である。今日の低迷の発端となったと言っても過言ではない。
DRAMはその後ほぼ壊滅状態となっていき、日の丸OSや日の丸コンピュータのプロジェクトは解体させられた。電子産業の今日の低迷の端緒のひとつとなったと解釈することは、大きく間違ってはいないだろう。
新経済対話で避けるべきは自動車弱体化
「新経済対話」は日本からの提案であるが、そもそもどの程度したたかな戦略性を有しているのか誠に心もとない。トランプ大統領のインフラ投資路線に乗っかり、自動車の現地生産の実情を理解してもらうとともに、TPPがダメになったので二国間自由貿易協定をやりましょう、といった程度の発想しか感じられない。日米のゼロサムゲームのなかで、安倍首相の好きな国益をいかにしたたかに確保していくのか、そのシナリオがまったく見えないのである。現実に大した構想も持ってはいないだろう。
戦略シナリオが不明確なら今後早急に固めていくことを求めたいが、そのなかで絶対に譲れない点がひとつある。それは自動車産業の競争力を削ぐ、いかなる施策にも合意してはならないということである。その強い戦略性が求められる。ここが崩れてしまえば、日本製造業の拠点が崩れてしまうことになる。安倍“経済産業省政権”には、この点についてくれぐれも失策のないことをお願いしたい。
(文=井上隆一郎/桜美林大学教授)