2012年12月の総選挙で、自民党が政権を奪取した。このタイミングを境に、わが国の経済政策は大きく変化し、大胆な金融政策、機動的な財政政策、民間投資を喚起する成長戦略の“3本の矢”からなる“アベノミクス”が進行した。
なかでも、日本銀行が実行する金融政策の役割は大きかった。13年4月、黒田東彦総裁は2年で2%の物価目標を達成すると力説し、短期決戦型の金融政策の導入に踏み切った。その後も、日銀は金融緩和によって物価目標を達成するというスタンスを貫いている。アベノミクスについてさまざまな論評があるが、なかには「アベノミクスは金融政策一本足打法だ」と揶揄するエコノミストがいることも確かだ。
その背景には、「アベノミクスは、経済に流通するマネーの量を増やせばデフレから脱却できるという考えに執着しすぎた」との見方がある。実際、アベノミクス下の日本銀行は、マネーの供給量を増やせば物価は自然に上昇するというリフレーションの考えを重視してきた。
実際のデータを見ると、当初の日銀の主張と異なり、デフレ脱却は達成されていない。3月の消費者物価指数は前年同月比で0.2%(総合ベース)と2%の目標には遠い。生鮮食品及びエネルギーを除く総合ベースではマイナス0.1%だった。
日銀の国債買い入れが限界に近づいていることもあり、今後、金融政策でデフレ脱却を実現するのは難しい。先々の展開を考えると、日本はいかにして経済成長の基盤を整備するかを真剣に考えなければならない。今、日本経済は、重要な局面を迎えていると考えられる。
14年3月末にピークを迎えたアベノミクス
12年11月、日本の景気は底を打った。それから17年4月末まで、景気は53カ月続けて回復してきたと考えられる。これは、戦後3番目の長さである。今回の景気回復は、海外経済の好調な展開に支えられたといえる。特に、アベノミクスが始動しはじめた時点で、米国では「シェールガス革命」と呼ばれたエネルギーの生産量の増大が進行していた。それが米国の緩やかな景気回復を支え、ドル高・円安の流れを生み出した。海外発の円安環境が整っていたことは、日本にとって福音だった。
アベノミクスは、円安の流れを金融緩和策でジャッキアップしたと考えることができる。13年4月、日銀は量的・質的金融緩和の導入を決定し、流通市場から国債を買い入れて金融市場にマネーを供給し始めた。これが円の借り入れコストを低下させ、ドルなどの高金利通貨買い・円売りの円キャリートレードを活発化させたのである。