円安の進行によって、一時的に日本の景況感は改善した。基本的に、ドルなどに対して円が減価すると、国内企業が海外に保有する子会社などの資産評価額が“かさ上げ”される。それに加え、14年4月の消費税率引き上げ(5%から8%へ)が迫ったために、多くの消費者は税率が低いうちに、自動車や家電などの耐久財などを中心に当面の消費を済ませようとした。
14年3月末、駆け込み需要はピークに達した。物価、企業の設備稼働率、賃金などの水準を包括的にみると、14年3月31日、日本の景気はアベノミクス下での回復のピークをつけたのである。
それ以降、日本経済は金融緩和に依存した状況が続いてきた。14年10月末には、駆け込み需要の反動減から落ち込んだ景気を支えるために、日銀が金融緩和を拡大し、国債の買い入れ額は年間80兆円程度に引き上げられた。
この時も、米国の緩やかな景気回復が支えとなり、追加緩和がドル買い・円売り圧力を高めたといえる。その結果、15年6月には125円台半ばまでドル/円は上昇(円安が進行)し、日本の景気が支えられた。
行き詰まるアベノミクス
15年半ばを境に、為替相場では円がドルなどに対して上昇してきた。15年の夏場以降、中国経済の先行き懸念が高まり、世界の金融市場ではリスク回避的な動きが広がった。多くの投資家は、それまでの円売りポジションを手仕舞ったのである。
16年1月末、日銀はマイナス金利政策を導入し、金融緩和を強化した。しかし、この政策は金融機関の利ザヤを縮小させた。加えて、マイナス金利は保険商品の想定利回り、預金金利の低下などにもつながり、家計の経済に対する信頼感など、マインドを悪化させた。
マイナス金利への批判などを受けて、日銀は同年9月に金融緩和の「総括的な検証」を実施し、過剰な金融緩和策の限界と弊害を認めた。加えて日銀は、金融政策の持続性を重視した政策に方針を転換した。これが、「長短金利操作付き量的・質的金融緩和」である。
この方針転換は、日銀が短期決戦型の金融政策を放棄し、物価上昇を実現するための環境整備に政策の路線を変更したといえる。言い換えれば、日銀は長短の金利を固定することで金融機関の収益に配慮しつつ、政府の構造改革を支えることに軸足を移した。