東芝への批判報道、大半は間違いの可能性…2次情報の危うさ、「監査意見不表明」ではない
言ったことをそのまま伝えていない
遡れば、第3四半期報告の際も、ほとんどすべてのメディアは「監査意見不表明」と報じていた。これについては前回指摘した通り、「監査」でもなければ「意見」でもない。「レビュー」であり、不表明となったのはその「結論」だ。レビューは監査よりも数段保証レベルが低いので、監査法人が「意見」を表明できるような代物ではない。こんなところで気安く「意見」などという言葉を使ってはならないのだ。
そして、何より驚くのは、東芝の社長は記者会見の場でちゃんと「レビューの結論不表明」と言っていることだ。「監査意見不表明」という表現は使っていないにもかかわらず、メディアを通すとそれが「監査意見不表明」となるのである。無知か無頓着でなければ悪意がある、と言いたくもなる理由がわかるだろう。
さらに遡れば、東芝が債務超過に陥り、四半期レビューの結論不表明の原因にもなった多額ののれんの減損に関する報道も核心を突いていない。こののれんの減損は、東芝の米原発子会社が行った買収に伴って発生したものであるが、それが7000億円超にも上ったという損失額の大きさばかりをメディアは伝えている。
しかし、本当の問題は、買収直後に105億円と言っていたのれんが1年後に7000億円超に修正されていたことにある。ここのところをまともに報じているメディアは皆無に等しい。
これなどは、東芝からのプレスリリースや結論不表明となった監査法人の四半期レビュー報告書を見れば、何が起きていて、どこに問題があるかわかるはずだ。ただし、それを読み解くためにはそれなりの専門知識が要る。これについては、よくわからなかったから報道しなかった、またはできなかったというほうが正しいのだろう。メディアの2次情報とは、そういうよくわかっていない人が書いている情報で溢れているのだ。
2次情報で世論が形成される怖さ
多くの人はテレビ、そして最近はインターネット上の情報を情報源としている。しかし、それらはすべて誰かを介した2次情報だ。キュレーションサイトに至っては3次情報だ。それらの情報は、無知な誰かを介している。ちょっと専門的な内容に関しては本当に無知だと思ったほうがいい。場合によっては悪意がある可能性もある。そのため、多くの誤りを含んでいる。東芝に関する一連の報道を見て、つくづくそう思う。
しかし、多くの人は2次情報だけで判断する。最近は、ネットニュースには投稿できるようになっているものも多いが、そのような場合は、そこで一種の世論まで形成される。東芝の件でいえば、「東芝という会社は次から次へと法を犯している本当にダメな会社だ」という話になるのである。そう刷り込まれている人々は少なくないはずだ。
東芝が悪いことをしたのは事実だ。しかし、どこが悪くてどこは悪くないかという冷静な見極めができなければ、集団ヒステリー的な行動になってしまう。これは恐いことだ。2次情報の発信者に悪意があれば、簡単に情報操作・世論操作ができてしまう。
プロフェッショナルを自認する者として、1次情報に当たることの重要性をあらためて感じた次第である。
(文=金子智朗/公認会計士、ブライトワイズコンサルティング代表)