賠償金を値切り倒す手口
東電側が示した「休業補償」額1471万円の算出方法は、原発事故発生の2年前に当たる09年度の決算書に記された売上高約2億3800万円から、飲食業であれば「固定費」として扱われるべき人件費や水道光熱費、消耗品費(コップやお皿、筆記用具など)をすべて「変動費」だと主張しながら差し引き、意図的に低い貢献利益率(45%)を弾き出した上で、店を閉めていた2カ月半の分だけ補償する――というものである。
耳慣れない「貢献利益」なる言葉だが、これは売上高から変動費を引いた金額のこと。「貢献利益率」は、売上高に占める貢献利益の割合のことをいう。
つまり、貢献利益率が高ければ高いほど、優秀で稼ぎのいい会社ということになる。東電にしてみれば、高い貢献利益率をいったん認めてしまえば、その後も高額の賠償請求が続くことになりかねないので、どうにかして貢献利益率を下げようと画策するわけである。
そこで東電は「A社の人件費は変動費だ」と強弁。そうして弾き出された貢献利益率が「45%」なのであり、「休業補償」としての1471万円だった。そもそも貢献利益率を算出するルールは、賠償を広範囲に、かつ迅速に行なうという建て前から設けられたにもかかわらず、東電は賠償額を値切り、かつ賠償の実行を先送りするための手段として悪用するようになっていた。
A社の近隣にある会社では、原発事故前後の売上を比較して算出された逸失利益分の賠償金を、東電に対する直接請求で受け取っていた。なかには、売上が回復するまで賠償が継続して行なわれた会社もある。しかしA社だけは、賠償による救済から取り残されていた。クラブの営業を再開しても風評被害が続き、売上は例年の半分以下にまで落ち込む。店の女性従業員たちは、スタッフの人数が減った分、仕事量が増え、それでも給与が上がらないため、不満を募らせてゆく。A社は14年12月、東京地裁に提訴した。だが、その翌月、A社は高級クラブを閉店する。続けていく余力も気力も、もはや残っていなかった。
裁判も、当初は東京に事務所を構える弁護士に依頼していたものの、途中から本人裁判へと切り替わる。A社によれば「弁護士との意思の疎通がうまく図れなかったから」だという。本人裁判のため、立証が不十分な書証も散見された。裁判所は和解案を一度も出さなかったという事実からも、裁判官がA社の主張を軽んじていたことが窺える。
裁判でA社は、貢献利益率は83%だと主張。一方の東電は同率を12%だとする。直接交渉の際の「45%」という数字をさらに引き下げてきた。その上で、貢献利益率による損害額の算出方法は、あくまでも直接交渉による示談の場における計算方式であり、裁判となれば話は別だと主張する。
さらに東電は、原発事故の前と後で事業の内容や規模を大きく変更した場合は、「貢献利益率方式」による賠償額を認めることはできず、原発事故の前と後の営業利益を比較し、営業損害額を算定する「差額方式」が妥当であるとした。
A社の財務諸表によれば、原発事故前年である10年度の営業利益は132万円の赤字。これはクラブとは別の事業へ投資していたことによるものだが、事故後の12年度、13年度は経営努力もあって黒字へと転じていた。東電はこの点をとらえ、「原発事故によるA社の損害は何もない」としたのである。財務諸表上の弱点を突いた、実に嫌らしい戦法だ。
だが東京地裁は、こうした東電の主張を全面的に認めた。公判の途中で、休業期間の営業補償に関する請求を取り下げ、店舗再開後の逸失利益を請求する方針に切り替えたことも仇となり、A社の請求をすべて却下。金額はともあれ、2カ月半分の休業補償なら認めてあげたかもしれないが、逸失利益の賠償にこだわり続けたA社の自業自得――とでも言いたげな判決だった。
東電「賠償ルール」の本質
この裁判では、裁判所が本人裁判であることをまったく考慮せず、法律の素人であるA社側に立証責任を求め、その結果、コテンパンに伸してしまっていた。
しかも判決では、A社が原発事故直後に「これまでの店舗での事業再開は不可能」と判断したことについても、「社会通念上」認められないとしていた。だが、事故直後の福島県内では、マスコミの記者からも避難する者が現れるほどの大混乱が発生していたのである。そんな前代未聞の非常事態を「社会通念」なる物差しで測ろうと考える裁判官には呆れるほかない。日本の裁判官でありながら、福島県で原発事故が起きた事実をまったく知らないか、あるいは記憶を喪失しているかのいずれかなのだろう。
A社はその後、本人裁判を諦め、弁護士を立てて控訴審に臨んだものの、敗訴した。上告したものの、司法に絶望し、今年8月、A社は上告を取り下げる。結果、今日までなんの賠償も得られていない。クラブの再開も果たせないままだ。
A社の敗因は、加害企業のつくった「東電ルール」を信じ、これに従って賠償請求したこと。これに尽きる。A社が賠償請求の際にこだわった「固定費」「変動費」「貢献利益率」にしても、そもそも東電が持ち出してきた理屈であり、賠償請求する際の絶対的な法的根拠とはならない。しかも、何が「固定費」なのかという基準自体、業種によって相当異なるなど、あやふやなものである。「固定費」「変動費」「貢献利益率」という概念は、あくまでも財務分析のためのものであり、意図次第で経費の仕分けなど如何様にもできてしまう。
となると「東電ルール」は、一見していかにも誠実そうに思えるものの、実は東電の腹づもりひとつで賠償額の上げ下げがコントロールできる“詐欺的ルール”ということになる。A社は賠償金を値切られた末に踏み倒されたが、逆に賠償額を釣り上げることも、このルールなら可能だ。こうした「賠償」の実態を暴いたのが、この事件だったともいえる。
何しろ元手は血税である。東電は現在、実質国有化されていることでもあるので、“支払い過ぎ”の不正がないかどうか、ぜひ会計検査院にチェックしていただきたいものだ。
今の裁判所では、原発事故被害を解決できない。東電「賠償」の本質を看破することもできない。日本の法曹界は、原発の大事故が発生した際の損害賠償問題を「ありえないこと」として研究しておらず、従って福島第一原発事故が起きるまでなんの用意もしてこなかった。事実上、付け焼刃で対応せざるを得なかったわけだから、被害者の救済がないがしろにされるケースが出てきたとしても、なんら不思議ではない。結果的に一銭も賠償されることのなかったA社のケースは、裁判所と司法関係者の無知と不勉強が招いた悲劇と言うこともできそうだ。
(文=明石昇二郎/ルポライター)