まして、今回の再上場は、上場審査を通るということによって、不祥事を起こした会社が真っ当な会社に生まれ変わったことを社会に認めさせる、言わば「禊ぎ」の役割も担っている。それだけに、上場審査の過程で行儀の悪い振る舞いがあってはならない。破竹の勢いで成長を続ける新興ベンチャーの新規上場であれば、その成長期待ゆえに投資家側も多少の行儀の悪さには目をつぶるが、西武HDの場合はそうはいかない。
●日米で異なる“内部統制”の意味
だが、欧米の投資家の常識を起点に考えていくと、サーベラスの発想がさほど突飛なものではないということが見えてくる。
所有と経営が完全に分離していることが当たり前の欧米では、経営者は所有者、つまり株主に雇われて、株主の利益のために経営を執行するエージェントである。経営者は株主の利益を最大化するために働くことが使命だ。そして取締役は、経営者が株主の最大利益のためにちゃんと働いているのかどうかを見張る、見張り役だ。だから取締役は社外が当たり前なのだ。
ガバナンスや内部統制という言葉の理解も、日本人とは決定的に異なる。内部統制は英語では「internal control」である。業務の適性を確保するために、組織内でルールや業務プロセスが整備され、運用されていれば、内部(=internmal)の統制(=control)が効いている、ということになる。
欧米の投資家にとっては、業務執行の最高責任者である社長が、ちゃんと株主の利益のために働いているということこそが、内部統制が効いているということになり、取締役は社長がちゃんと株主の利益のために働いているかどうかを見張るために居るものと考える。
そして、欧米の投資家はほとんど脊髄反射的に「経営者は、IPO価格はできるだけ安いほうが良いと考えるもの」と思っている。欧米の投資家は、株価は経営者の責任だと考えるから、経営者としてはIPO価格は会社の実力以下の価格であるほうがプレッシャーが少なくなる。
以上を踏まえると、筆頭株主であるサーベラスの最大利益、つまり自分たちが考える企業価値通りのIPO価格実現のために「積極的には働かない」と堂々と後藤氏が発言すること自体、サーベラスへの反逆であり、そこには「IPO後にふりかかる株価のプレッシャーを少しでも軽減したいという気持が働いているに違いない」とサーベラスが考えたとしてもおかしくない。そういう社長を見張り、是正する能力もその気もない取締役もそのままにしておくわけにはいかない。そう考えると、サーベラスが怒りを募らせた思考プロセス自体はなんとなく理解できてくる。
●IPO価格に対する日米経営者の感覚の違い
だが、所有と経営が分離していないうえに、上場後も創業社長が相当な株を保有したままということが珍しくない日本では、筆頭株主と経営執行の最高責任者である社長が同一人物であることも希ではない。取締役も経営の執行者を兼ねていて、社長以下経営の執行者を見張る役割を担う取締役は、自分で自分を見張り、評価するのだから、欧米の投資家にしてみれば矛盾に充ち満ちている。
実際、取締役を代表しての発言と、業務執行の最高責任者としての発言とを区別して発言している日本企業の社長に、筆者はいまだにお目に掛かったことがない。
今回、西武HDは「一部の株主だけを優遇しないということこそが、内部統制が適正に機能している証拠である」と言っている。これは経営の執行者のやっていることを客観的に評価する取締役としてではなく、経営の執行者としての当事者意識を持った発言だ。
内部統制という言葉への理解も、日本人の場合は社員が不正を働いたらすぐに発見できるシステムという理解が一般的で、社長がちゃんと株主の最大利益のために働いているかどうかをチェックするシステムという発想はまずない。
そして最も違和感があるのは、「経営者は、IPO価格はできるだけ安いほうが良いと考えるもの」という感覚である。誤解を恐れずに言うならば、日本人の経営者は脊髄反射的に「IPO価格は高いほうが良い」と考えているからだ。
というのも、日本人の経営者は業績不振の責任を問われることはあっても、株価の責任を問われることはまずない。無論、公式発言では株価の低迷を謝罪する経営者は多いが、申し訳ないとは思っても、だから自分はクビになって当然であるとか、クビになることに怯えるなどということはない。