景気回復期待が高まり、東日本大震災後、落ち込んでいた東京都内のホテル宿泊客数は回復基調にある。その一方、2014年以降、東京都心では「アンダーズ東京」「アマンリゾーツ」などの高級外資系ホテルの開業が相次いで予定されており、既存のホテルとの競争激化が予想されている。
その14年に開業50周年を迎えるのが、帝国ホテル、ホテルオークラとともに“ホテル御三家”と称されるホテルニューオータニだ。
ホテルニューオータニは1400以上の客室と38のレストラン、34の宴会場を抱え、年間宿泊客数は約50万人にも及び、多くの国際会議も開催され、国内海外問わず数多くの要人が利用する歴史あるホテルだ。
そんなホテルニューオータニの広報マネージャー・今井章江さんに、
「ホテルマン、ホテルウーマンのお仕事と魅力とは?」
「知られざるホテル運営の裏側」
「巨大ホテル・ホテルニューオータニの、強さの秘密とは?」
などについて聞いた。
–就職先としてホテルを選んだ理由について教えてください。
今井章江氏(以下、今井) 私が就職活動をした1990年はまさにバブルの絶頂期で、女子大生の多くは航空会社、特に客室乗務員(CA)を目指していました。私自身も「CAになりたい」と思っており、英語が使えて、しかもお客様とコミュニケーションを取るような仕事に就きたいと思っていたので、そういった方面での就職を検討していました。
そんな時に、ある方にホテルニューオータニを紹介されました。その方が、「英語が使えて、お客さまとコミュニケーションを取るような仕事に就きたいなら、空の上でなく地上でもいいのでは」と言われ、心を動かされました。ホテルの仕事についてはまったく知識がなかったのですが、その方に、ホテルにはVIPのアテンドをするコンシェルジュという仕事があることを教えていただきました。それに、ホテルは華やかで、外国人もたくさんいて、私の希望にぴったりだと思い就職しました。
–入社されてから、それまで思い描いていたホテルウーマンというお仕事とのギャップはありませんでしたか?
今井 もちろん、すぐにコンシェルジュになれるとは思っていませんでしたし、正直、ホテルについての知識はあまりなかったので、理想とのギャップは感じませんでした。ただ、相当な体力が必要だということは痛感しました。
私は、入社後の新人研修で、ゲストサービス(ベル係)に配属されました。ベル係というのは、お客さまがチェックインされた時にお部屋までご案内するのが主な仕事ですが、それ以外に、トイレや自動販売機の場所なども含めて、ホテル内のありとあらゆる場所をご案内することも重要な仕事なので、どこに何があるか、その場所を覚えていなければなりません。当時はバブル崩壊直前のまさに絶好調の時期ということもあって、約1600あった客室が連日満室という状況でした。慣れないハイヒールを履いて、足の痛みをたえながら、朝から晩まで館内を歩き回っていました。そういう状況が3カ月間続いたわけです。体力に自信がつきましたね。ちなみに、同期のベルボーイが夜勤の時に万歩計をつけて測ってみたら、一晩で2万歩も歩いていたようです(笑)。
–ベル係の後は、どのような部署に配属になったのでしょうか?
今井 さらに3カ月間レストランで研修を受け、その後に本配属が決まることになっていました。当時、フロント係を経験してからコンシェルジュに行くというのが一般的でしたので、内心では自分はフロントに配属されるものと思っていたのですが、実際に配属されたのは、宿泊の予約を取るセクション(ルームリザベーションズ)でした。それを知らされた時には、少しがっかりしましたね。