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貝沼氏の大型買収がミツミ電機との経営統合である。ミツミ電機はスマートフォンメーカー向けのカメラの手ぶれ補正器などの電子部品の販売が落ち込み、16年3月期の連結最終損益は98億円の赤字(その前の期は38億円の黒字)に転落した。
ミネベアがミツミ株1株に対してミネベア株0.59株を割り当てて経営統合。17年1月、統合会社ミネベアミツミが発足した。モーターなど機械部品と電子・通信部品を幅広く持つ世界でも珍しい事業体となった。これはミネベアの歴史のなかでも最大級のM&Aとなった。
貝沼氏は中長期計画で20年3月期に売上高1兆円、21年3月期に営業利益1000億円の目標を掲げた。19年3月期の売り上げは9400億円、営業利益は850億円の見込み。目標達成にあと一歩だ。
「海外生産の立て直しに力を貸してほしい」
ユーシンは18年8月、ミネベアミツミに支援を要請した。ミネベアミツミにとってユーシンの打診は「渡りに船」だった。主力のスマホ向けバックライトの需要縮小が予測されていたからだ。ユーシンを買収すれば、売上高1兆円企業となる目標を達成できる。
ユーシンの帝王・田邊耕二氏の失脚
ユーシンはなぜ、ミネベアミツミに“身売り”を申し入れたのか。創業家と完全に訣別することにしたのだ。
ユーシンは17年1月10日、会長兼社長の田邊耕二氏が「一身上の都合」により辞任。新社長には生え抜きの岡部哉慧(かなえ)専務が昇格した。
ユーシンの“帝王”と呼ばれた田邊氏は、創業家の2代目として1978年に社長に就任以来、40年近くにわたって最高実力者として君臨してきた。社長公募や10億円以上の高額報酬など、何かと話題を集める“お騒がせ”経営者だった。
田邊氏の後継者探しは波乱ずくめだった。06年、元日産自動車常務で自動車部品会社ナイルス(現ヴァレオジャパン)の社長だった竹辺圭祐氏を社長に招き、自身は最高顧問に退いた。しかし、竹辺氏と生え抜きの役員たちとの対立が深刻化し解任。田邊氏は2年で社長に復帰した。
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