――産業別に見ると、特徴などはありますか。
関 産業別では、戦後最大の製造業倒産となったタカタを含む製造業の66件が最多です。次いで、建設業39件、不動産業33件、金融・保険業25件、サービス業他21件、小売業18件、卸売業16件、情報通信業9件、運輸業5件、農・林・漁・鉱業1件となっています。建設業と不動産業が多いのは、バブル崩壊後に先送りされた不良債権処理が要因でしょう。また、1997~98年(平成9~10年)の金融危機後に整理が進んだ金融・保険業などが上位を占めているという構図です。
平成の上場企業倒産ペースは昭和の3倍
――平成と昭和を比較すると、いかがですか。
関 平成の30年間で、上場企業倒産は年平均7.7件発生しました。当社が全国倒産集計を開始した52年(昭和27年)から88年(昭和63年)までの「昭和」の37年間の上場企業倒産は合計95件で、年平均2.5件です。上場企業数が異なるため単純に比較することはできませんが、平成は昭和の3倍のペースで上場企業倒産が発生したと言えます。
平成の30年間を10年ごとに区切って比較すると、89~98年(平成1~10年)は44件(年平均4.4件)でしたが、99~2008年(平成11~20年)は140件(同14件)と急増しました。金融機関の破綻が相次いだ金融危機直後からリーマン・ショックが発生した時期で、不良債権の早期処理と世界同時不況が相まって上場企業倒産が頻発したのです。
その後、09~18年(平成21~30年)は49件(同4.9件)と大幅に減少しています。金融機関の不良債権処理が峠を越え、資金調達の環境が改善、さらに輸出企業を中心とする上場企業の業績回復などがあり、倒産の沈静化を後押ししました。
――平成の企業倒産を振り返って、思うことはありますか。
関 特にゼネコンはバブル景気を謳歌して金融機関からの借り入れを増やしていましたが、そのツケがバブル崩壊後に回ってきて、ゼネコンと不動産会社はともに縮小することになりました。当時、ゼネコン100社の売上高や貸借対照表、有利子負債などをチェックしましたが、「有利子負債率が高いな」と感じた企業は、その後に倒産あるいは吸収されていきました。
また、百貨店の雄であったそごうの倒産には驚きました。負債最大のマイカル、あるいはダイエーにも同じことが言えますが、右肩上がりの土地価格の上昇を前提とした出店攻勢がアダになりました。小売業界は、より計画的な出店戦略を進めるべきだったでしょう。
バブルの過熱と崩壊について、確かに不動産業界は反省すべき部分はあるでしょう。しかし、大蔵省(当時)の総量規制も含めて、政策の失敗という側面もあると思います。1997年(平成9年)4月に消費税を3%から5%に引き上げるとともに公的負担も引き上げ、ここから日本経済は長いデフレに突入します。GDPは97年度(平成9年度)にマイナス0.7%、98年度(平成10年度)にマイナス1.9%と2年連続マイナスを記録しました。
当時、「日本的経営はダメで欧米にならえ」という総悲観論が風靡しましたが、果たしてそうだったのでしょうか。政策の失敗がデフレを招き、リーマン・ショックや東日本大震災などもあり、経済はなかなか活性化しませんでした。現在は戦後最長の景気拡大と言われていますが、実感は乏しいです。国の政策の何が失敗だったのかを、きちんと検証すべきです。