NHKとは思えない攻めの姿勢が話題となったドラマ『腐女子、うっかりゲイに告(コク)る。』が、今週で最終回を迎える。本作はNHKの「よるドラ」(土曜夜11時30分~)枠で放送されている、ゲイの高校生・安藤純(金子大地)が主人公の青春ドラマだ。
ある日、純はクラスメイトの三浦紗枝(藤野涼子)が男性同士の恋愛を題材にしたBL(ボーイズラブ)本を買っているところを目撃し、彼女が“腐女子”であることを知る。その後、三浦さんと仲良くなった純は、彼女と付き合えば普通の幸せが手に入るのではないかと思い、ゲイであることを隠して付き合うようになる。しかし、純は女性の三浦さんに性欲が芽生えず、性行為の際に失敗し、気まずい関係となる。
やがて、純は三浦さんに自分がゲイであることを告白。しかし、その場面を盗み聞きしていた小野雄介(内藤秀一郎)がゲイであることをクラスメイトに暴露したことで、純は追い詰められ自殺未遂を起こす……。
原作は、小説サイト「カクヨム」に投稿された浅原ナオトの小説『彼女が好きなものはホモであって僕ではない』(KADOKAWA)。書籍化の際に自身も同性愛者であることを告白した浅原は、LGBTの運動には苦手意識を持っており、中学2年のときに読んだBL本に登場する同性愛者たちの姿を見て、同性愛者としての自己肯定感が高まったと語っている。
LGBTの運動に後押しされるかたちで世間に広がっている実態の伴わないポリティカル・コレクトネス(政治的な正しさ)ではなく、同性愛者の恋愛を性的なファンタジーとして消費しているため性差別的だと批判されがちなBLと、その消費者である腐女子を肯定的に見ているのだ。この視点は物語にも反映されており、腐女子の三浦さんとBL的価値観と出会ったことで、不安と孤独を抱えていた同性愛者の純が救われるという結末に、本作は向かっている。
また、本作の魅力は登場する若者たちの生々しさで、青春ドラマとして実に秀逸である。脚本を担当した劇団ロロの三浦直之は、若者の会話を魅力的に書ける脚本家だ。純と三浦さんのやりとりもそうだが、純を取り巻く男子高校生同士のやりとりも生々しく、性に目覚めた思春期の少年少女の雰囲気をイキイキと描いている。
同時に、高校生が持つ同性愛に対するライト感覚の差別心も描いており、無知であることがいかに愚かで残酷かということが、本作を見ているとよくわかる。
描くべきだったホームルームの場面
ただ、少し残念なのは、純以外の登場人物が記号的で書き込みが薄いこと。登場人物の切り取り方は最初は新鮮でおもしろいのだが、一つひとつの描写が浅いので「高校生あるある」「腐女子あるある」のおもしろいところだけを抽出したスケッチのように感じてしまう。
これは、本作が「純から見た世界」しか描いていないことの弊害だ。三浦さんはBLについて「世界を簡単にしないための方法」と言うのだが、世界を簡単にしないためにも、純の同級生たちをもっと丁寧に描いてほしかった。
第7話で三浦さんは、純が入院している間に「同性愛について」のホームルームが開かれたことを伝える。ホームルームの場面は直接描かれず、三浦さんの語りで知らされる。これは原作通りの演出で一人称の小説ならば違和感はないのだが、複数の俳優がそれぞれの役を演じるドラマなのだから、1話まるごと使ってでも、このホームルームの場面は描くべきだったと思う。
この後、物語はコンクールで絵が入賞した三浦さんが体育館の壇上で表彰される場面に変わる。そこで彼女は、全校生徒の前で自分が腐女子であることを告白。そして、純が自殺未遂をした理由を話し出す。
クィーンの「We Will Rock You」が劇伴でかかるなか、三浦さんが自分語りをする場面は本作最大の見せ場で、盛り上げようとする役者や演出の気持ちはわかる。しかし、ここまでの生徒たちの描写が弱いため、三浦さんの友人が彼女の演説を助けようと教師に立ち向かう姿が、どうにもピンとこない。
三浦さんから小野がマイクを奪い「ほかの誰よりも自分が一番かわいそうだと思ってるんだろ! ふざけるな。てめえにてめえの都合で騙されて好き放題された三浦のほうがよっぽどかわいそうじゃねえか!」と純に怒ることで、彼が何に対し憤っていたのかは、いちおうわかるのだが、どうにも勢いでごまかされているようで、壇上に上がった純が三浦さんの気持ちにこたえるかたちでキスする場面も白々しく見えてしまった。
このシーン、せめて事前に小野たちを丁寧に描き、群像劇として見せていれば、もっと理解しやすいものになったのではないかと思う。
よるドラ枠は、若者向けの攻めた作品をつくり続けている今一番おもしろいドラマ枠だ。『腐女子~』も若手を起用した意欲作だったが、視野の狭さと構成の甘さという、若者ならではの弱点が出てしまったと思う。とはいえ、意欲作には失敗はつきもの。その失敗も含めて、若さが全面に出た初々しいドラマだといえよう。せめて最終回は、きれいに締めてほしいと願っている。
(文=成馬零一/ライター、ドラマ評論家)