「RIZIN38」(9月25日・さいたまスーパーアリーナ)のメインイベント。61キロ契約のMMAルール(5分3ラウンド)で行われた堀口恭司vs金太郎戦。「史上最強のメイド・イン・ジャパン」とまでアナウンスされた、日本人としてリングの頂点に君臨する絶対的王者・堀口選手が放った右ミドルに対して、金太郎選手が左ストレートを放つ。圧倒的な臨場感に高揚するアリーナが大きく響めきをあげた瞬間だった。
その光景は、下馬評を覆し、朝倉海選手が堀口選手をマットに沈めた一戦を彷彿させた。絶対的王者を相手に、不良の世界からのしあがってきた金太郎選手が、会場を大きく揺さぶってみせたのだ。その時、大半の観衆が金太郎選手の大番狂わせに期待を寄せていた――。
頑張れば、誰にだって可能性という道は拓かれる。同じような境遇から、これからの夢を見ている世代に、金太郎選手の闘志は大きな刺激になったのではないだろうか。 「RIZIN38」のメインイベントを飾るにふさわしい試合であった。
だが、それらに水を指し、物議を醸すことになったのが、同日同会場で行われていた「超RIZIN」のメインイベント。フロイド・メイウェザーvs朝倉未来戦での花束贈呈でのシーンだ。
試合前、メイウェザーに花束を渡すため、いつものコスチュームである袴姿でリングに上がった、ごぼうの党・奥野卓志代表が、健闘を祈る意味合いを込めた花束をメイウェザーに手渡さず、目前に放り置くようなことをやって見せたのだ。手から手へと渡るはずだった綺麗な花束は、メイウェザーが拾い上げるまで、無造作な状態でリングの上に置き去りにされる格好になった。
会場で見ていた私も、一瞬何が起こったのかわからなった。横の席に座っていた後輩に「あれ、なにが起きてん?」と尋ねたほどだ。その時は、失礼とか、日本の恥だ、とかの感情は一切芽生えてこなかった。まさかこのような出来事が起こるとは想定してなかったので、脳の処理が追いつけなかったのである。
確かに強烈な嫌悪感は、奥野氏がリングに上がった瞬間からあった。
私は、戦略的に人と違った派手なことをやり、金銭的関係から深められた有名人らとの人脈を駆使し、世間への不満を常に持っている層と、それを面白がって騒ぎ立てるメディアにより作り出されたような人間を好きになれない。というか、おもしろいと感じないのである。私の奥野氏に対する評価はまさにそれだった。
マナーや常識などといわれるものは、実際には受けた教育や生きてきた境遇、環境によってそれぞれで、ときにそれらをぶち破ってこそ、評価されることも確かにある。だがそこには、人としての普遍的な道徳心や誠意というものがなくてはならないし、それを持ち合わせていない人間を、私は受け入れることができない。
本来ならば、社会的通念を鑑みるまでもなく、常識ともいえる義務教育レベルで考えても受け入れられないはずの感性が、ソーシャルメディアの発展によって、狭いコミュニティの一部では支持を得るような状況が生まれ、社会を混沌させているのは事実だろう。まさに「タコツボ化」だ。
そんな中で、過剰に増幅してしまっているのが、他人からの承認欲求ではないだろうか。自分を見てもらい、「いいね」をもらうことが何よりの喜びになる。それがクセになり、より目立とう、より派手なことをしようなどという志向が拡大していく。一方で、そんな中で喪失されていったのが、人間として当たり前に持つべき礼節ではないだろうか。
考えてみてほしい。SNSでは、見ず知らずの素性すらわからない人間に、ときに人格否定にもつながるような、すごい言われようをすることもあるのだ。そんなことが当たり前に起こる社会になってしまった。もう引き返せないかもしれないが、ソーシャルメディア・ビジネスを拡大させすぎたのは、間違いだったと思わざるを得ないのだ。
カメラが回るとキャラを豹変させた奥野氏
前置きが長くなってしまった。
私は政治に興味がない。少なくとも政治を通して社会を変えることよりも、自分の人生を歩き、自分の力で周囲を変えることで精一杯なので、ごぼうの党の存在を知ったのも最近のことだった。奥野氏が某番組に出演したときの放送を、後日になってたまたまネットで見かけ、その発言に驚かされたのだ。
その映像の中では、普段は冷静沈着な進行担当のアナウンサーが、生放送中だというのに、歯止めが聞かず自論を展開させる奥野氏にブチ切れていたのだ。私はそのアナウンサーも知っているし、もともとは某局のエースクラスといわれた常識人である。
そんな人が奥野氏に向かって興奮してしまっているのだ。司会者が感情的になれば、上層部から何らかのお咎めを後から受けるかもしれないことを重々に理解しながらも、歯止めがきかない奥野氏にブチ切れていた。それは、自分の仕事に対する責任感と正義感から来ていたのだろう。
そう感じた私は、その番組のチーフプロデューサーに連絡を入れた。いつの間にか長い付き合いになってきた友人の1人である。
「いや~あの回でしょう。参りましたよ、でもCM中に、『これ以上、暴走されたら途中でも強制的に退場してもらいますよ』と言うと、すごく礼儀正しくて、『大丈夫です』って言うんですよ。でもカメラが回り出すと、また同じように持論を展開させ、暴走するんです」
このプロデューサーによると、生放送が終わると、帰りがけに「また機会があればぜひ、呼んでください」と語り、奥野氏はテレビ局をあとにしたというのだ。
彼は、私よりも年が少し上である。あのような、世間の注目を集めるようになった非常識な言動が彼の素であれば、到底、本業である会社経営などできないだろうし、そもそも社会での営みだって困難となってくるはずだ。だが、彼はビジネスで成功しているという。つまりは、そうした奇抜的な発想は、世間から注目を浴びたいという承認欲求に快楽を得てしまったことも少なからず影響しているのではないか。それが今回の花束贈呈につながるも、世間にも、これまでの支持者にも見事に突き刺さらず、大失敗しただけではないのか。
一方で、Twitterなどで奥野氏の行動を非難する投稿をし、それが支持を集め、ネットニュースで取り上げられている有名人がいるが、それも私にいわせれば、自分の承認欲求を満たしたい行動と何ら変わらない。それどころか、どっかでは正義的行動と考えている節だってあるのではないか。
本気で憤っているのならば、芸能人ならではの人脈を使い、すぐに奥野氏とコンタクトを取り、抗議などの直接的なアクションができるはずだ。それらのに、真っ先に奥野氏を直撃して彼の言い分を掲載したのは、東スポさんだぞ……。そうした、それを受けた最らしい投稿が賞賛され、バズってしまうのである。すでに「バズる」という言葉を使う私自身気持ち悪いが、いいねやリツイートされることは、SNSの住人にとっては、さぞや気持ちよいことなのだろう。
メイウェザーの気になる一言
今回、私は映像の仕事で親交のある皇治選手に招待されたので、急遽仕事を2日間キャンセルして、「RIZIN」を観戦しにいった。そこまでしたのは、皇治選手の応援と、もう一つは生でフロイドメイウェザーを見てみたかったからだ。
10代の頃からずっとボクシングが大好きで、47歳を迎える今も仕事の合間を見ては、ずっとボクシングの真似事を続けている。そんな私にとってメイウェザーは特別な存在であった。
羨ましい出来事もあった。数年前にメイウェザーが来日した際、私の友人がメイウェザーに都内で会っている。それを当時、「フライデー」と「週刊新潮」に頼まれたので、関係者らの許可を取り、メイウェザーと友人が写った写真を誌面化させたことがあった。来日したメイウェザーが、六本木の叙々苑などで一晩に数百万を使ったと、当時話題になった出来事を覚えていないだろうか。あの記事だ。
RIZINでは、メイウェザーを初めて生で見られたことで私は興奮したが、奥野氏のあの行為に怒りを感じたかというと、そういった感情は微塵も覚えなかった。次元が違うからだ。
最初は、プロレスでいうアングル的なブック。つまりは台本があっての行動と誤解したほどだ。私は目の前で起こる出来事の表面だけを見るようなことをしない。そこだけ見て、一喜一憂するなどはもってのほかだと考えている。
確かに奥野氏の行為は度を越していた。だがメイウェザー本人よりはもとより、メイウェザー陣営が誰も動かなかったのだ。事前に、何か示し合わせなあったのではないかと考えてもおかしくない状況ではなかったか。
格闘技とは、リングで向かい合いゴングがなるまでの心理戦も大切な戦術だ。あの行為で、もしメイウェザーが感情的になり、いくらエキシビジョンとはいえ、試合に影響が出れば、メイウェザーサイドから、すぐに何かアクションを起こされてもおかしくなかったのではないか。それくらいはリングの上に立つ選手を冒頭する行為だったのだ。
奥野氏は東スポのインタビューで、メイウェザーのこれまでの言動に不満があったので、非礼には非礼で返したという旨の主張としている。自身の運営する会員制サロンにメイウェザーが来たがっていたが、断ったとも。しかし、不満や恨みがあったのなら、それこそ自分の店に来た際に、待ってました!とばかりにクソ失礼な接客態度をとってやればよいではないか。会場に来てる人々やPPVを購入して、観戦を楽しんでいる人たちには関係ない話だ。
加えて、榊原信行CEOがリングに上って、「情けない恥ずかしいことをした人間がいます。リングの中は本当に神聖な場所。リングに上げたことをお詫びしたいと思います。この場を借りて謝罪します」と言い出したのである。
榊原CEOの性格なのだろうか。謝罪するならば、はっきりと名指しした上で「花束贈呈の際にメイウェザー選手を始め、ご覧になられている人々に対して不快な思いをさせてしまい申し訳ありませんでした」と明確に言うべきではなかったか。
しかし、あれだけ侮辱的な行為を受けたというのに、メイウェザーは、また来年来日してエキシビジョンをすると、リング上でマイクパフォーマンスしたのだ。メイウェザーが試合前に言っていた「ショー」という言葉には、いろいろなことが含まれていたのではないだろうかと勘繰ったのは私だけだろうか……。
(文=沖田臥竜/作家)