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大崎孝徳「なにが正しいのやら?」

「ほぼ日手帳」、高いのになぜ売れる?マーケティングの常識を根底から覆す商品開発

文=大﨑孝徳/神奈川大学経営学部国際経営学科教授
「ほぼ日手帳」、高いのになぜ売れる?
ほぼ日手帳 2023(「ほぼ日刊イトイ新聞」より)

 先日、手書きの手帳である「ほぼ日手帳」の売上が好調との記事(2023年1月23日付・日本経済新聞)を目にし、大変驚いた。なぜなら、広く普及したスマートフォンによって、腕時計、デジタルカメラなど、これまで多くの商品が大きな打撃を受けており、手書きの手帳といった商品群も苦境に苦しんでいると思い込んでいたからである。

 ご存じの方も多いと思われるが「ほぼ日」とは、コピーライターの糸井重里氏が主宰するウェブサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」の通称であり、運営会社の社名にもなっている。“ほぼ”となっているものの、1998年の創刊以降、毎日、コラムを中心にさまざまな情報が無料で発信されている。株式会社ほぼ日の社是は「夢に手足を。」、行動指針「やさしく、つよく、おもしろく。」であり、社長の個性あふれる素敵な言葉が並んでいる。

 また同社は、一般のウェブマガジンにおいて主流の戦略となっている広告収入を主たる収入源としておらず、さらに読者から購読料を徴収しないにもかかわらず、高い収益性を確保している。さらに、老若男女を問わず幅広いターゲット顧客に対して、「日常うれしいと思うこと」というユニークな価値を提供している。こうした点が高く評価され、優秀な企業に授与される「第12回ポーター賞」(米ハーバード大学のマイケル・E・ポーター教授に由来)を受賞している。

 ほかにも、サイトの運営に加え、生活関連分野を中心に商品の企画・開発・販売も行っており、代表的な商品が「ほぼ日手帳」である。

「ほぼ日手帳」は2001年に発売され、現在、複数のバリエーションが展開されているが、共通する特徴は「持つ人の好みやライフスタイルに応じて自由な使い方ができる」「細部までたくさんの工夫がある」となっている(「ほぼ日ストア」ウェブサイトより)。

 オリジナル版を例に具体的な特徴に注目すると、まずサイズはA6、1日1ページという構成により、大きな記載スペースが確保されている。よって、本来、手帳に記載すべきスケジュールに加え、日記、その日に見た映画のチケットや気になる記事のスクラップ、絵を描くなど、ユーザーにより多様な利用法があるようだ。

 レイアウトは方眼ベースとなっており、縦書き、横書き、図や表など、いずれも綺麗に作成できる。また、方眼のマス目は3.7ミリとなっているが、このサイズはユーザーに対するアンケート調査、座談会を通じて決定し、2009年より採用されている。

 さらに、ウェブサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」の記事から厳選した言葉が1日1つ掲載されており、書くだけでなく読む手帳としても楽しむことができるとのこと。その他、素材やデザインなど、バラエティに富むカバーが用意されている。

 しかしながら、こうしたこだわりの結果、本体だけで2420円、カバーにおいては1万円を大きく超えるものもあり、通常の手帳と比較し、極めて高価格となっている。それにもかかわらず、2022年版は72万部と好調な販売を維持している(2022年8月期ほぼ日レポートより)。

「ほぼ日手帳」の海外展開

「ほぼ日手帳」において随所に見られる細やかなこだわりは、日本人特有のものと思われがちだが、海外でも大きな成功を収めていると知り、大いに驚いた。2012年には英語版、2018年には中国語簡体字版が発売されており、株式会社ほぼ日の売上高全体に占める海外売上高の割合は4割を超えている(株式会社ほぼ日2023年8月期決算発表説明資料より)。

 以前、知り合いの研究者から、日本語の「雑貨」に対する英語は存在しないという話を聞いたことがある。直訳すれば「general goods」などとなるが、この表現が通常、日本人が雑貨に抱くイメージと大きくずれていることは明白である。このように考えると、文房具をはじめ、日本の雑貨という商品カテゴリーの国際市場での展開には大きな可能性があるのかもしれない。

 筆者の知り合いに、長年「ほぼ日手帳」を使い続けている人がいる。その手帳を取り出し、何かを書き込む仕草から、その商品を愛し、また商品を使っている自分を誇らしく思っているように感じられた。一言で表すなら「すごい商品だな、なぜこの商品はこれほど愛されているのか」と。

 そのポイントは、まず「ほぼ日」全体に通じる「日常うれしいと思うこと」というユニークな価値の提供を目指し、一切の妥協なく、ユーザーと対峙してきた結果のように思われる。3.7ミリの方眼といった消費者参加型製品開発に加え、ユーザーの実際の使用例をサイトで紹介するなど、顧客との価値共創が見事に実現している。

 筆者の関心領域である「商品の高付加価値化(高く売る)」と絡めると、競合他社の販売価格や市場(消費者)が受け入れてくれる価格の調査といったマーケティングリサーチに基づき、ターゲット価格を設定し、商品開発を行うという一般的なスタイルは本当に正しいのだろうかと、今回の「ほぼ日手帳」のような事例に遭遇するたび、疑問を抱かずにはいられない。

 これまで多くのプレミアム商品を調査してきたが、共通するポイントは、売り手が信じる価値をどう具現化し、届け続けていくのかということであり、価格の問題は完全に後回しといった印象である。

「ほぼ日手帳」の開発に際し、もし入念なマーケティングリサーチが実施されていたなら、こだわり満載の2420円の手帳は誕生せず、誰にも見向きもされない、どこにでもある1000円程度の手帳になっていたのではないだろうか。

(文=大﨑孝徳/神奈川大学経営学部国際経営学科教授)

大﨑孝徳/香川大学大学院地域マネジメント研究科(ビジネススクール)教授

大﨑孝徳/香川大学大学院地域マネジメント研究科(ビジネススクール)教授

香川大学大学院地域マネジメント研究科(ビジネススクール)教授。1968年、大阪市生まれ。民間企業等勤務後、長崎総合科学大学・助教授、名城大学・教授、神奈川大学・教授、ワシントン大学・客員研究員、デラサール大学・特任教授などを経て現職。九州大学大学院経済学府博士後期課程修了、博士(経済学)。著書に、『プレミアムの法則』『「高く売る」戦略』(以上、同文舘出版)、『ITマーケティング戦略』『日本の携帯電話端末と国際市場』(以上、創成社)、『「高く売る」ためのマーケティングの教科書』『すごい差別化戦略』(以上、日本実業出版社)などがある。

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