最近、情報収集をしていて、ひとつの調査結果に目がとまった。「閉店したラーメン店、カフェの6割以上が3年以内に営業終了」という内容だ。
2月1日に公表された同調査(※)では、「閉店しやすい業態は、『お弁当・惣菜・デリ』『そば・うどん』『ラーメン』『カフェ』で、6割以上の店舗が営業3年以内で閉店」(後略)と説明してあった。一方で息の長い業態も紹介していたので、興味のある方はご参照いただきたい。
(※)「飲食店ドットコム」を運営するシンクロ・フード(本社:東京都渋谷区)の調査による。調査対象数:3133件。調査期間:2016年1月1日~2022年12月31日
筆者はラーメン店もカフェ(喫茶店含む)も取材しており、後者の取材歴は20年近い。昔から喫茶業界は「3年で半数が閉店」ともいわれていた。
そこで今回は逆説的に、長年動向をウォッチする、「創業半世紀を超えて今でも人気の喫茶店」を取り上げ、生き残れた理由をリポートしてみたい。
週末には座席待ちの本店
2月の土曜日午後、茨城県ひたちなか市のJR勝田駅から目的地に向かうと、前を歩く2組の別々のグループが、めざす場所に相次いで入った。「サザコーヒー本店」だ。店内に入ると座席待ちの人が多い。入り口脇のウェイティング席に座ったり、物販コーナーをながめたりして喫茶コーナーの座席が空くのを待っていた。
筆者がこの店に興味を持ち、時々本サイトで紹介するのは、たとえば次の理由による。
・昭和の喫茶店マスターが今も現役で提言を行う
・個人店だが、国内16店に拡大した
・世代交代もしており、後継者がユニークな施策を打ち出す
創業者の鈴木誉志男氏(会長)は、週末には本店で皿洗いを行う。妻の美知子氏(前社長)が加わることも多い。本店には中庭もあるが、美知子氏が管理し、自ら手入れを行う。今でも “昭和の喫茶店マスターとママ”の基本を崩さないのだ。
「サザコーヒーの基盤は、この本店です。長年にわたり地域の人に愛していただき、遠方からも来ていただける。コロナ禍で厳しかった時期も本店が下支えしてくれました」(鈴木氏)
同店の創業は1969年だ。家業の映画館「勝田宝塚劇場」(1942-1984年)の一角に開業した。鈴木氏は当時20代。大学卒業後に就職した東京楽天地で映画の興行プロデューサーを務めた後、帰郷して店を開く。家賃はかからなかったが設備投資を行った。
現在の本店は総工費約3億円をかけて1989年にオープンした。この時は「大借金を背負い、数年前にようやく完済。でも借金がエネルギーにもなりました」(同)と話す。
半世紀続く人気店になった3つの理由
半世紀続く人気店になったのは、次の3つの理由が考えられる。
(1)昭和の喫茶店ブームに乗り、お客と向き合ってきた
(2)定番品を磨き、新商品や新サービスで訴求し続けた
(3)東京進出で知名度を上げつつ、茨城県を大切にした
今回の取材時、たまたま本店に来ていた長年の常連客(年配の女性2人)をご紹介いただいた。店が映画館内にあった時代から来店しているという。
(1)では、サザコーヒーが開業した昭和40年代以降、喫茶店ブームが起きた。1981年には喫茶店の国内店舗数が「15万4630店」(※)と過去最高を記録した。同社も1971年に勝田駅前に細長いサザビルを建設。水戸市や日立市(当時)にも店を開いた。
※総務省統計局「事業所統計調査報告書」を基にした全日本コーヒー協会の発表資料
だが、昭和の人気店の多くが、現在は姿を消した。主な理由は、「店主と常連客の高齢化」(による売上低迷)や「建物の老朽化」(建て替え費や移転費の負担増を避けて閉店)だ。
サザコーヒーは長年の常連客が今でも店に足を運び、新規客も増えた。本店は健在だが、本店内に設置されていた焙煎所は一昨年、ひたちなか市内に建設した新工場に集約された。
(2)の定番品の代表は、主力でもあるコーヒーだ。同社はコーヒー生産地を直接訪問し、高品質なコーヒー豆を買い続け、生産者との信頼関係を築いてきた。近年、産地訪問や買い付けは、社長の鈴木太郎氏(長男)や長年勤めるベテラン社員が担う。
イベントに注力し、地元食材も活用
筆者はカフェに関する著書を4冊出版して、人気店の動向とも向き合ってきたが、「コーヒーを磨き続けないと、カフェや喫茶店は生き残れない」と感じている。
その視点で同社を見ると、1990年代後半には南米コロンビアに自社農園を購入し、試行錯誤の末、現地での栽培を軌道に乗せた。現在は「サザ農園」のコーヒーとして販売する。
また、2009年から太郎氏がオークションで落札し続けている高級豆「パナマゲイシャ」(パナマ産のゲイシャ品種)は、今では同社の名物だ。コーヒーを中心にしたイベントも頻繁に行う。2月23~26日には「ゲイシャまつり」が実施された。
消費者の好みや流行は時代とともに変わるので、昔のやり方を踏襲するだけでは生き残りが厳しくなる。サザに限らず「雰囲気・商品・接客を進化させた個人店」は強いのだ。
(3)は、国内16店舗のうち5店が首都圏にあり、うち4店が東京都内だ(KITTE丸の内店、エキュート新橋SL店、エキュート品川店、東急二子玉川店)。最初に東京進出したのは2005年、品川駅構内への出店だった。ここで実績を積み、都内での認知度も高めた。
だが、本拠地・茨城県への思いは強く、残りの11店は同県内にある。県特産のいちごやメロン、イチジクや栗などの地元食材を使ったドリンクやスイーツも販売する。
最近では「サザぱん」と名づけた自家製パンも開発した。3月3日から「サザのぱん祭り」として先行販売し、ゴールデンウィーク後に本稼働を予定している。さまざまなイベントで注目度を高めるのも同社の手法だ。
地域貢献の背骨は、「縁を大切にする」
現在、経営や主な商品開発は太郎氏が担い、鈴木氏は文化活動や啓発活動に軸足を移した。
「2月は6回、茨城県内で講演やコーヒー教室を行いました。講演は自動車ディーラーや茨城県建築士会などで、コーヒー教室は常陽銀行やNHKのカルチャーセンターです」
鈴木氏はこう説明し、続ける。
「1カ月に平均5~6回、近隣の市町村や地域のPTAなどから依頼があります。ご縁を大切にし、基本的にすべて受けています。謝礼もいただきますが、自社商品のお土産付きですべて還元しています」
コーヒーへのこだわりは強いが、暑苦しく語らない。店にくるお客に対してもフラットに接する。以前の取材時には、「あら会長、久しぶり」と気さくに声をかける常連客の年配女性もいた。この人は高校生の頃から店に通っているそうだ。
昭和時代には、コーヒーへの情熱が強いあまり、来店客に蘊蓄を語り続ける店主もいた。もちろん当時はその良さもあったが、現在では、幅広い客層を獲得するのは難しいだろう。
鈴木氏と太郎氏は、時に衝突してきた。「昔に比べて親子の確執が減った」と感じる現代だが、中小企業では珍しくない。父子が同じカウンターに立つ個人喫茶店を取材した際は、「親子なので遠慮がなく、時にはお客さんのいない場所で言い争います」という話も聞いた。
とはいえ、後継者が育って世代交代でき、客層を広げたのも永続できた理由だろう。
差別化には、「競合がやらないことをやる」
サザコーヒーは史実を掘り起こした物語系のコーヒー開発も得意で、その嚆矢となったのが「徳川将軍珈琲」(将軍珈琲)だ。縁あって知り合った徳川慶朝氏(15代将軍慶喜のひ孫)と太郎氏が一緒に焙煎を行いながら開発し、2004年に発売すると大ヒットした。
近年、鈴木氏は「茨城ヒストリアカフェ」(7種類で1200円、税込み)にも注力する。
「地方のコーヒー屋の生き残り策でもありました。大手や競合店は、今でも産地や銘柄、農園別といった訴求が一般的です。そうではなく、『歴史上の人物が飲んだコーヒー』というストーリー性を持たせれば、別の魅力が打ち出せると気づいたのです」(鈴木氏)
コーヒーについて、先日取材した大手飲食店の発表資料で興味深いデータがあった。
「手軽に食事をとることができる」場所を指すIEO(Informal Eating Out)コーヒー市場における動向(2021年9月~2022年8月)では、需要の8割弱が「ブラックコーヒー」だった。カフェラテやカフェ・マキアートなどが人気と思いがちだが、大半がブラックなのだ。
前述した「コーヒーを磨かないと店は永続しない」を裏づける調査結果ともいえよう。
マスターやママが店にいる安心感
最後に、少し引いた視点で「飲食店」を考えたい。消費者は、さまざまな店を訪れて飲食経験を積むが、一通り経験すると、総じて「ホッとできる店」を支持するのではないか。
もちろん個人の好みによって違うが、筆者の若手時代に人気だった流行店(当時)は、歳月を経ると残っておらず、昔ながらの「町中華」が根強い人気を保っていたりする。
その視点でサザコーヒーを考えると、特に長年通うお客にとって「マスターやママが本店にいる」のは大きいだろう。時代が変わっても“立ち寄り場”がある安心感かもしれない。
同社の活動は独創的なものも多いが、本質は飲食の味と接客だ。「お客と向き合い、長年足を運んでもらう」の事例として、ご参考になれば幸いだ。
(文=高井尚之/経済ジャーナリスト・経営コンサルタント:外部執筆者)