預金や融資など資金の出し入れや決済を行う勘定系システムを統合することは、経営の効率化につながるだけでなく、利用者に新たなサービスを提供する基盤ともなる。統合によるシステム運用コストの低減効果は年間数百億円といわれており、収益面で他の都市銀行と比較し見劣りするみずほ銀でシステム統合の遅れが続くことは経営的にも大きな痛手だ。
第一勧業銀行、富士銀行、日本興業銀行の旧3行が経営統合に合意したのは1999年8月。従来、16年3月のシステム統合を予定していたが、さらに1年間延びる。
旧さくら銀行と旧住友銀行が合併した三井住友銀行は、02年に勘定系システムを統合。旧東京三菱銀行と旧UFJ銀行が合併した三菱東京UFJ銀行は08年にシステム統合を完了。12年4月に発足した三井住友信託銀行も14年内をメドにシステムの統合を完了する予定だ。
そんな中、なぜみずほ銀だけがシステム統合に大きく遅れているのか。その背景には、旧3行の縦割り意識が強く、経営に一体感がないことが指摘されている。
●過去に2度のシステム障害の原因
みずほ銀にとってシステム統合は鬼門だ。02年と11年の2度にわたり大規模システム障害を起こした。
1回目は02年4月1日。第一勧銀、富士、興銀の3銀行が統合して誕生した旧みずほ銀としての営業初日にATM(現金自動預け払い機)の大規模障害が発生、さらに公共料金の自動引き落としなどの口座振替に遅延が生じるなどトラブルが拡大。この混乱は1カ月以上も続いた。
各旧行とシステム開発会社(ベンダ)が組んで、主導権争いを演じたのが原因だ。基幹システムは第一勧銀では富士通、富士では日本IBM、興銀では日立製作所が手掛けていた。みずほコーポレート銀行は旧興銀の日立製システムを使うことで決まったが、旧みずほ銀の基幹システムの採用をめぐり、第一勧銀と富士が激しく対立した。富士のIBM製システムのレベルが高いことはわかっていたが、第一勧銀が富士通製システムの採用をゴリ押しして決定に持ち込んだ。富士は傘下の安田信託銀行の経営危機説が噴出しており、第一勧銀に強く出られなかったという裏事情があった。
銀行再編に伴う基幹システムの争奪戦で、富士通は東京三菱、三井住友を失った。ここで、旧みずほ銀を失うと、4大金融グループすべてで敗北となるため、ピンチに立たされた富士通は秋草直之社長(当時)が先頭に立って激しい営業攻勢をかけたといわれている。その結果、銀行経営の根幹をなす基幹システムの諾否が性能ではなく、行内の政治力学で富士通に決まった。この最初のボタンの掛け違いが大規模システム障害の伏線となった。旧みずほ銀の基幹システムが富士通に一本化されたのは04年12月で、みずほコーポ銀、みずほ信託銀行とのシステム統合は先送りされた。