一時期、マスコミでも大きく話題を呼んだキャラクターなので、ご存じの方も多いと思いますが、「奈良の守り神として多くの人々に親しまれている鹿の角をたくわえた、愛嬌のある童子の姿」という設定は、せんとくんの容姿を的確にとらえた説明であり、その衝撃の姿は、世間に大きな反響を呼ぶことになりました。
そんなせんとくんですが、「平城遷都1300年祭」(2010年)が終了した現在、実は、奈良県の「県職員」という立場になり、これまで世間の荒波にもまれながら世間を騒がしてきた彼が、今ではすっかり受け入れられ、奈良の発展を願い、日々奮闘しているというのです。
ここで、せんとくんのこれまでのヒストリーを振り返ってみましょう。
せんとくんは、奈良県で「平城遷都1300年祭」の公式マスコットキャラクターとして、08年2月12日に誕生しました。誕生当時、奇抜な風貌が「可愛くない」「気持ち悪い」などの批判を集め、マスコミを巻き込んだ騒動になったのは有名な話です。せんとくんに対する批判の声はどんどん広がり、仏様に角を生やした風貌が「仏様を侮辱している」と仏教界からも批判される始末。
なぜ、そんな批判を受けるまでのデザインが誕生したのかを調べてみると、せんとくんの生みの親は、東京芸術大学大学院美術研究科文化財保存学専攻保存修復彫刻研究室教授の籔内佐斗司氏で、日本屈指の彫刻家の方です。籔内教授は、これまでもせんとくんに似た風貌の彫刻をたくさん生み出しており、籔内教授自身、これまで20年近く制作してきた一連の『童子』作品の流れをくんでいると認めているのです。
せんとくん選定への批判
では、なぜこのデザインが選ばれたか?
せんとくんのキャラクターは、複数の広告代理店による「作家指名制コンペ」で選定されました。このキャラクター制作費として使用された金額は、1018万円といわれています。
そのうち、著作権の譲渡代として、地方博のマスコットキャラとしては破格の500万円が籔内教授に支払われたという点と、一般公募ではなく、広告代理店によるコンペで選ばれたという点から、選定方法に対する疑問の声が連日マスコミでも取り上げられました。
騒動は広がり、報道によれば市民からは1000通を超える苦情が寄せられ、市民団体が白紙撤回を求め、街頭で署名活動までするという事態に発展しました。
さらに、デザイナー集団が別のデザインを公募し、1位になった「まんとくん」がせんとくんのライバルとしてクローズアップされ、せんとくんは最大の危機を迎えます。しかし、その公募で選考から漏れた「なーむくん」を反対運動に参加する別の組織が使用したことで、反対派内に亀裂が生じて、騒動は終息していったとみられています。
実は一説には、この反対運動は、公式キャラクター選定の際、意見が通らなかった地元デザイナーが不満を持ったことから始まったともいわれていますが、こうした騒動が皮肉にもせんとくんの露出を増やし、知名度を上げる結果となっていくのです。ちなみに、後に、籔内教授は出演したテレビ番組で「批判の声は、報道されているほどではなかった」「自身に寄せられたメールのうち、批判は3割くらいだった」と述べています。
15億円相当の宣伝効果
以上のように、せんとくんが人気キャラに至るまでのプロセスは、報道による宣伝効果をうまく利用したものだともいえます。
せんとくん選定当時の08年、大阪府立大経済学部の荒木長照教授が主となって発表された、パブリシティ広告に関する調査によると、NHKと民法キー局の28局における、せんとくんの年間出演時間は計1時間52分2秒。加えて、新聞の掲載記事の段数や、ブログ掲載の記事数などを広告料に換算すると、約15億円相当の効果があったと算出されたのです。ちなみに、「平城遷都1300年祭」開催の10年に奈良県が発表したせんとくんのPR効果は、広告換算額で約225億円相当。せんとくん騒動を取り上げたメディアによるパブリシティ効果も、大きかったと考えられています。
市民による反対活動が、素人にしては露出や進め方の手際が良かった点や、当時せんとくんの広報には、広告代理店やプロのマーケティングコンサルタントがついていた点もあり、プロの「仕掛人」が存在し、故意に騒動を炎上させたのでは……と囁かれたほどでした。
成長遂げた「せんとくん市場」
10年7月末時点で、せんとくんがライセンス契約で稼いだ金額は総額約48億円。約1500種類のグッズも各地で販売され、「せんとくん市場」は急成長を遂げました。
そしてせんとくんは、平城遷都1300年祭の閉幕後も、奈良県で観光マスコットとして採用され、10年12月に辞令が出て、翌年1月に着任。奈良県庁への就職となり、晴れて奈良県の「県職員」となったのです。
その後も、せんとくんが奈良県の各種PR活動で活躍。「古事記」が編さんされてから1300年を迎え、「記紀・万葉プロジェクト」が策定された昨年は、同プロジェクトのPRの一環で、「半裸に近い」コスチュームに新たに3着が追加されました。今後は、季節や場所に適した衣装で、これまで以上の活躍を見せることが期待されています。
批判をうまく利用し、大きな経済効果を生みつつ、今も奈良県の各種PR活動で活躍するせんとくん。「成功哲学書」でも出版したら、意外に売れるかもしれません。
(文=西脇聖/AN FACTORY)