日英「1.9兆円」洋上風力合意の真意…三菱商事撤退後に日本が英国へ賭ける理由

●この記事のポイント
三菱商事の国内3海域撤退、トランプ政権による米国洋上風力の全面停止、英国の中国製タービン禁止——逆風が吹き荒れる中、日本政府は6月14日の日英首脳会談で10年・最大1.9兆円規模の洋上風力協力に合意する。着床式では勝てない日本が「浮体式」技術の国際標準獲得に賭ける戦略的論理と、脱中国コストを補完させられるリスクを読み解く。
「足元がこれだけ厳しい状況で、なぜ英国の海に1.9兆円を投じるのか」——この問いへの答えを理解するには、まず洋上風力を取り巻く世界地図を、最新の状態に塗り直す必要がある。
6月14日にロンドンで予定されている日英首脳会談で、高市早苗首相とキア・スターマー英首相は洋上風力発電に関する政府間の協力枠組みを立ち上げ、日本企業4社が参画する形で10年間・最大1.9兆円規模の英国での事業展開を目指すことで合意する見通しだ。事業投資の促進、技術開発の協力、風車のサプライチェーン構築などが柱になるとされる。
だがこの合意は、国内外の「逆風」の中での決断である。
●目次
- 三菱商事撤退が示した「コスト構造の壁」
- 「国家安全保障リスク」という国際的文脈
- なぜ「英国の海」なのか——浮体式という最後のフロンティア
- 「脱中国コスト」を日本が補完する構図
- 問われる優先順位——洋上風力かペロブスカイトか
三菱商事撤退が示した「コスト構造の壁」
国内の洋上風力市場が直面する現実は、2025年8月の三菱商事の撤退宣言で白日のもとにさらされた。
三菱商事は2025年8月27日、秋田・千葉県の3海域での洋上風力発電事業を取りやめると発表した。コストやスケジュール、収入などあらゆる面で取り得る手段や可能性を検討したが、実行可能な事業計画を立てることは困難との結論に至ったという。中西勝也社長は会見で、建設費が入札時の見込みから2倍以上に膨らんだと説明し、「断腸の思い」と表現した。
この三菱商事連合は、2021年末に圧倒的な価格で入札し国内洋上風力市場を席巻するはずだった。それがわずか4年で全面撤退に追い込まれた背景は、世界的なインフレとサプライチェーンの混乱、そして日本固有の「重い地政学コスト」の重なりにある。エネルギー政策研究家の佐伯俊也氏は次のように指摘する。
「三菱商事の撤退は単なる個社の経営判断ではなく、国内の着床式洋上風力が本質的なコスト競争力を持てないことを示した。日立や三菱重工が大型風車から撤退したまま、国内メーカーが復活する見通しも立っていない状況では、欧州勢か中国勢の設備に頼らざるを得ず、それ自体がリスクになる」
3月には、経済産業省とデンマークのヴェスタスが日本での発電設備製造拠点設立に関する協力覚書を締結し、2029年度までに国内にナセル最終組み立て拠点を設立するロードマップを策定するなど、官民連携の動きも出てきた。しかしこれは長期的な取り組みであり、現在進行中のプロジェクトのコスト問題への即効薬にはなりえない。
「国家安全保障リスク」という国際的文脈
コスト問題と並行して、洋上風力を「地政学問題」に変えたのがトランプ政権だ。
トランプ政権は2025年1月、領海外大陸棚の全区域における洋上風力リースを一時的に撤回する大統領令を発した。航行安全や環境、安全保障などの観点から重大な損害につながる可能性があるとし、すべての関連機関は見直しが完了するまで、洋上風力発電プロジェクトに対する新規または更新の承認・認可・融資を行ってはならないとした。さらに同年12月には、連邦リース契約の全面一時停止に踏み込んだ。
米国内務省は、洋上風力発電で回転するブレードが防衛などに使われるレーダーシステムに干渉すると指摘した。干渉が発生すると検知すべき目標を覆い隠す懸念があるとされ、米エネルギー省の報告書では、この干渉を減らすためにレーダーの設定を変更すると検知すべき目標を見逃す原因になるとも指摘された。
専門家の多くはこの「国家安全保障」という論拠には疑問符をつけるが、洋上風力が単なる「クリーンエネルギー政策」ではなく国家安保と絡み合うインフラであるという認識は、米国以外でも急速に広がっている。
その象徴が英国政府の決断だ。英政府は2026年3月26日、中国の風力発電機大手・明陽智能(ミンヤン)のタービンを洋上風力に使うことを禁じると表明した。「安全保障上のリスクがある」として計画を承認せず、同社製風車を英国の洋上風力プロジェクトで採用することを禁止した。
「現在の大型風車は単なる発電設備ではなく、膨大なセンサーや通信機能を備えたデジタルインフラだ。発電量データだけでなく、気象情報や系統運用情報も扱うため、国家レベルでは安全保障上の監視対象になる。洋上風力はすでにエネルギー政策だけの話ではない」(同)
こうした流れは、結果的に中国製設備の排除と欧州メーカーへの需要集中を招く。世界風力会議(GWEC)の統計によれば、洋上風力の累積導入容量は中国と欧州で世界の大半を占める。英国の中国排除方針は安全保障上の合理性を持つ一方で、設備コスト上昇という代償も伴う。
なぜ「英国の海」なのか——浮体式という最後のフロンティア
では、コスト高騰・中国排除という難題を抱える英国になぜ日本は1.9兆円を向けるのか。答えの核心は「着床式」と「浮体式」の技術的分岐点にある。
現在の主流は、水深50メートル以下の遠浅の海底に基礎を打ち込む「着床式」だ。北海に恵まれた英国や欧州、そして広大な沿岸を持つ中国がここで先行し、日本が追いつける状況にはない。
一方、水深100メートルを超える深海にも設置できる「浮体式」は、まだ世界的に商用化の黎明期にある。2026年1月5日、長崎県五島市沖(水深約130〜140メートル)に浮体式風車8基(総出力16,800kW)を設置した「五島洋上ウィンドファーム」が商用運転を開始した。これは再エネ海域利用法に基づいて認定を受けた国内初の案件で、約3年の工事期間を経て商用化に至った。
浮体基礎の設計・制作で、日本は世界最先端の技術力を持つとされ、2030年前後の量産化に向け、数百億円規模の大規模投資に踏み込む企業も出てきた。
「着床式では欧州・中国に勝てないが、浮体式なら日本の造船・海洋土木技術が活かせる。英国での実績づくりは、浮体式の国際標準(ルールメイキング)を握るための投資という側面が強い」(同)
英国は北海での豊富な洋上風力開発実績を持ち、かつ日本の浮体式技術が適用できる深海域も有する。日本にとって英国は「同志国との安全保障枠組みの中で、浮体式の実証フィールドを買える」数少ない選択肢の一つなのだ。
「脱中国コスト」を日本が補完する構図
ただし、この合意を「ビジネス上の等価交換」として評価するには慎重さが必要だ。
英国が「中国排除」を選択したことで生じるコスト増を、日本の資金と技術が部分的に補完するという構図が透けて見える。
日本側には中東情勢を踏まえ、エネルギー調達の多角化につなげる狙いがある。首脳会談では中国を念頭に、重要物資の輸出規制などの経済的威圧に懸念を表明し、サプライチェーン強靱化の重要性を強調する方針だ。
「日英連携」が純粋なエネルギー協力であるのか、それとも西側同盟の安全保障コストを日本が負担する構図であるのかは、今後の契約内容が明らかになるにつれて問われることになるだろう。政府が強調する「投資促進とサプライチェーン構築の協力」が、国内産業にどう還元されるかも重要な評価軸だ。
北九州市のような鉄鋼・造船の基盤を持つ地域では、洋上風力の部品製造やO&M(運用・保守)の集積拠点化を図る動きが続いている。日英協力が生む「浮体式の量産化」の波が、こうした国内サプライチェーンと連動できるかどうかが、この投資を「海外流出」で終わらせないための鍵になる。
問われる優先順位——洋上風力かペロブスカイトか
最後に、より根本的な問いを置きたい。
1.9兆円という資金と、洋上風力に割くエネルギーを、日本が技術的な優位を持つ別の分野——たとえばペロブスカイト太陽電池——に向けることはできないか、という議論は依然として有効だ。
薄く、軽く、フレキシブルなペロブスカイト太陽電池は、ビルの外壁やインフラ施設への設置が可能で、「漁業権調整」も「レーダー干渉」も必要としない。海上工事という重い社会的コストとも無縁だ。中国依存という安保リスクを最小化しながら、日本の国土特性(急峻な地形・密集した都市)に適した発電技術として、製造業・化学メーカーが量産投資を加速させている。
「洋上風力と太陽光は競合ではなくどちらも必要」という政策的立場は理解できる。しかし、国民負担と政策資源は有限だ。国内製造基盤が育っていない段階での洋上風力への過重な傾注が、ペロブスカイトなど真に「日本が勝てる分野」への投資機会を圧迫していないか、という視点は持ち続けるべきだろう。
「洋上風力発電のコスト低減が期待しづらいということであれば、なぜ洋上風力に大きな支援を行うのかを問い直さねばならない。三菱商事の撤退を契機として、わが国のエネルギーミックスが過度に再エネに夢を抱いたものになっていないか、改めて検証する必要があろう」——これは国内シンクタンクによる三菱商事撤退後の分析の一節だが、その問いはいまも有効だ。
日英「1.9兆円」合意は、浮体式技術の国際的な地歩を固めるという戦略的根拠を持つ。だが、それが真に日本の「エネルギー主権」を高めるものになるか、それとも他国の地政学的思惑に巻き込まれたコスト負担になるかは、今後の交渉詳細と国内への還元策次第だ。首脳会談の「合意」は出発点に過ぎない。内実を問い続けることが、メディアと国民双方に求められている。
(文=BUSINESS JOURNAL編集部、協力=佐伯俊也/エネルギー政策研究家)











