これに対して当時のJALは、スカイマークがANAグループ入りすることや、スカイマークが破たんすることを極端に恐れていた。ANAグループ入りすればもちろんのこと、破たんして羽田空港などの発着枠を国交省に返上した場合も、前回の割り当ての例から明らかなように、ANAグループ優先で再配分が行われるのは確実だからだ。最大の競争相手であるANAグループに、これ以上ドル箱の発着枠を奪われないためには、スカイマークの存続を支援する以外に道はないとJALは考えていたのである。出資を伴わない共同運航ならば後述する国交省の規制の対象外なので、口にこそ出さないものの応じる構えだったのだ。
ところが、自公両党の航空族政治家や国交省は、JALの予想よりはるかに強硬だった。のろしを上げたのは、太田昭宏国交大臣だ。太田大臣は昨年11月25日の記者会見で、「まだ正式な申請がなく、交渉中の案件なのでコメントは差し控える」と言いながら、「健全な競争環境の確保の観点から、(是非を)厳しく判断する」とこぶしを振り上げたのだ。背景に、「(JALの国策再建は)民主党政権の経済政策の成功モデル」と自画自賛する民主党への反発があったことは想像に難くない。
水面下で国交省はスカイマークに対し、JALとの共同運航を取りやめてANAとの共同運航に切り替えるか、JAL、ANA両社と共同運航をするよう執拗に迫ったという。異例の「呉越同舟型」支援を強いたのである。JALとの共同運航を始めるには、国交省の認可が不可欠だ。国交省の意に反する認可を取り付けるのは困難だ。スカイマークは窮地に陥った。
●国交省のリークか
昨年12月10日、事態は新聞報道がきっかけで動いた。朝日、日本経済などの新聞が朝刊で「国内航空3位のスカイマークが、同2位の日本航空と業務提携する方針から一転、首位のANAホールディングスとも提携に向けて交渉に入ることが9日わかった」と報じ、株価急騰の口火を切ったのだ。
今も大手航空会社の間では、この頃の一連の報道の多くが国交省のリークだったというのが定説だ。報道を先行させて、既成事実化させようとしたというのである。実際、当のスカイマークが同日午前中に「現時点で決定した事実はありません」としつつも、「支援要請の検討をしている」と歯切れの悪い釈明をした。「産経ニュース」によると、西久保社長も「バランスを整えるため、全日空とも話をする。普通なら2社に共同運航してくださいなんて、民間企業の論理ではありえない。説明のしようがない」と苦渋の表情を浮かべていたという。だが前述の通り、この交渉はなかなか合意に至らず、本稿執筆段階まで国交省への申請が遅れている。