一方藍沢は死亡した少年のカルテを見ながら、白石に移植医療の難しさを語る。「命を救う方法はあるのに、移植する臓器がなければその医療を提供することもできない」と。語りながら奏のことを思った藍沢は、奏の病室に行く。常人では耐えられない苦痛の中で憔悴しきっている奏に、藍沢は「生きてさえいれば、きっとまたピアノが弾ける」と語りかける。藍沢の言葉や表情一つ一つに心が動いた奏は、藍沢が執刀医になることを条件に手術を承諾した。
翌日、緒方におにぎりのお返しを届けに行った緋山は、病室にいる女性に驚く。そして妻だと挨拶をされてさらに困惑の表情を浮かべる。同じ頃、奏の容態が急変して意識混濁。藍沢が駆けつけ、緊急手術が行われることになるのだった。
突っ込みどころが多過ぎて、ストレスばかりが溜まる第4話だった。医療の専門知識は皆無だが、明らかにおかしいと感じることが多く、まったくもってドラマの中に入れなかった。そしてどこまでも人物描写が浅く、「この性格のこの人が、こんな言動はしないでしょ?」という違和感ばかり。
特に、緋山が傷口の縫合や褥瘡の手当を「つまらない処置」と言い放ったときには愕然とした。一人の少年がつい先ほど命を落とし、橘先生の苦悩に涙した緋山が、患者一人一人の苦痛を和らげる処置を「つまらない」と言い、「患者が死んだ」と一担当患者に軽々しく話すだろうか。2人の恋愛模様を描くために、緋山の人格の核となる一番大切な部分を捨てている脚本のように感じた。緒方の妻と対面するシーンに関しても、救命に運ばれるような重体患者の家族構成を担当医が知らないのか? と疑問を感じた。別れた妻がしゃしゃり出てきたという落ちなのだろうか?
そして横峯あかり(新木優子)にはあれほど厳しかった藍沢が、雪村のナースとしての最悪の態度を叱責しないことにも興醒めした。ナースを志した雪村が子どもを心配する母親を明らかに「ウザい」という態度であしらっていることがそもそもあり得ないが、この後に藍沢なり冴島なりが叱り飛ばしてくれればまだ納得もいった。しかし、冴島が優しく諭すだけ。白石はバーでお酒を飲みながらフェローの評価表を片手間に書いているし、冴島も甘くなっているし、緋山は恋に夢中だし。三井先生もいつも暗くて、子どもの心情より自分の感情に溺れている。今まで描いてきたそれぞれのキャラクターの魅力を消し去るような描写ばかり。
そしてストーリー展開もわかりにくい。串が刺さった少年の存在価値がまったくなく、途中で出てきた少年も唐突に現れてすぐに死んでしまった。いろんな人が急に出てきては消えるので、感情移入はできないわ、混乱するわで、何を一番伝えたい回なのかよくわからなかった。視聴者が見たいのは次から次へと起こる事件ではなく、生死を分ける過酷な現場で奮闘するドクターやナースたちの深い深い感情模様だと思うのだが。前シーズンまでの骨太なドラマはもう期待できないのだろうか?
(文=西聡美/ライター)