NHK大河ドラマ『いだてん』の第12話が24日に放送され、平均視聴率は前回から0.6ポイント増の9.3%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)だったことがわかった。主人公・金栗四三(中村勘九郎)がいよいよストックホルムオリンピックのマラソン競技に出場するこの第12話は序盤の山場であり、多少なりとも関心を集めたのは間違いないだろう。
だが、放送後の視聴者の声は「主人公の一番の見せ場がこれで終わり?」「もっとドラマチックな展開を期待していたのに」「今回くらいは落語の話をやめて金栗のエピソードに集中すればいいのに」など、あまり芳しくない。脱落する人はとっくの昔に脱落しているだけに、ここまで付いてきた視聴者に「期待外れ」と評価されるのは、率直に言って非常に厳しい。
序盤は悪くなかった。四三は体調不良の大森兵蔵(竹野内豊)をおぶったせいでスタジアムへの到着が遅れ、十分に準備ができないままスタートする。故郷の熊本では、幼なじみの池部スヤ(綾瀬はるか)が「みんなでタイを食べて四三さんを応援しよう」と言い出し、大宴会となる。四三が学ぶ東京高師でも、教員と生徒らが国旗を手に集まり、じっと現地からの電報を待っていた。
ラジオがまだないこの時代、現地の様子をリアルタイムで知ることはできない。もちろん、日本から応援の声を届けることもできない。しかし、故郷の人々と学友らがそれぞれ四三と同じ時間を祈るように過ごしていたという描写は、じんわりと胸を打つものがある。
その頃、四三は慣れない異国での生活から来る疲れやストレス、そして暑さのせいで苦戦していた。もうろうとする意識のなか、少年時代の自分が目の前に現れ、四三を導く。この演出になんの意味があったのかは正直言ってよくわからないが、素朴な子役はかわいいし、単調になりがちな映像に変化を持たせるという意味では良かったように思う。
問題はこの後だ。調子を取り戻した四三は、序盤で飛ばしすぎたランナーたちをどんどん追い抜き、ペースを上げていく。すると突然、空の人力車を引きながら東京の町を疾走する美濃部孝蔵(森山未來)の映像に切り替わった。人力車を引きながら噺を覚えたので、人力車を引きながら稽古すればスムーズにいくという孝蔵。ゆかりの人々が沿道で応援しているような幻覚を見ながらひたすら走り続ける四三と、派手なCGを背景に疾走する孝蔵の映像が何度も交互に映し出される。
このあたりで少なからぬ視聴者から「わけがわからない」「序盤のクライマックスに落語をねじ込むクドカンの神経がわからない」と批判の声が上がった。一応擁護すると、孝蔵のシーンは映像としては凝っていて美しかったし、四三と孝蔵をリンクさせる構成は今まで何回かやってきているのだから、その流れに沿っただけといえる。
ただ、脚本の宮藤官九郎がごり押しするのとは対照的に、『いだてん』を見ている視聴者は古今亭志ん生やその若き日である孝蔵にそこまでの思い入れがない。別の言い方をすると、クドカンは自分が落語を好きであるあまり、視聴者も同じだと思っている節がある。だから、昭和の大名人である志ん生が「オリムピック噺」を語るというプロットをみんながおもしろがると思っているし、ごろつきだった孝蔵がいかにして大名人と呼ばれるまでになったかの話を描けば誰もが興味を持つと思っているのだろう。それゆえに、視聴者に志ん生もしくは孝蔵を好きになってもらおう、興味を持ってもらおうという努力をしていないのだ。
そのため、視聴者の意識との間に大きなズレが出てしまう。その結果、「せっかく四三の走りを見守っているのに、関係ない孝蔵の近況などねじ込むな」という不満が残ってしまうのだ。
このほか、四三がレースの途中で行方不明になり、民家で保護されたという史実エピソードを描かなかったことについても「なぜそこを変えるのか」と批判が殺到した。ただ、この批判は早とちりである可能性が高い。第12話では結果だけを先取りし、次回の第13話で「実は何があったか」を描く構成なのだと思われるからだ。四三と仲良くなったラザロ選手のその後についても、第13話で描かれるものと思われる。
とはいえ、最初に結果を描いて後から詳細を描くという手法は、すでに第1話から第5話でやっている。同じ演出方法を何度も繰り返すのもワンパターンな気がする。筆者は『いだてん』をそこまで悪い作品だとも思っていないし、「宮藤官九郎はよくやっている」という評価も基本的には当初から変わっていない。だが、ここ最近の回を見る限り、クドカンもだいぶ大河脚本に苦戦しているのかな、と感じる。視聴率も、せっかく9%台まで戻したのだから、2桁復帰を目指してがんばってほしい。
(文=吉川織部/ドラマウォッチャー)