がん検診がどこまで進化するのか――。その基本構造を変革し得るかもしれない先進検査技術が実用化されると話題になっている。
体長わずか1ミリの「線虫」が、がん患者の尿を高い精度で嗅ぎ分けるという研究が報じられたのは2015年3月。その後、九州大学でこの研究を主導した広津崇亮氏が立ち上げたHIROTSUバイオサイエンスは、精度確保の検証や検査工程の機械化・自動化を完成し、解析センターを設立するなどの課題をクリアし、1月から線虫を使ったがん検査サービス「N-NOSE」を実用化すると発表した。まずは検診センターなどに導入を図り、初年度の検査規模として25万検体を見込んでいる。
15種のがんの有無を1時間半で検出可能
この検査は、線虫ががん患者の尿に集まり、健康な人の尿からは逃げる性質を利用したもので、尿1滴のみで早期がんを含む、ほぼすべてのステージのがんの有無を約1時間半で検出できる。現在のところ、“5大がん”と呼ばれる胃がん、肺がん、大腸がん、乳がん、子宮がんを含む15種類のがんの検知が可能だ。実用化当初の費用は9800円程度を想定しているという。
「N-NOSE」では、早期とされるステージ0~1を含めすべてのステージで9割以上の患者を検出できた。統計学上の感度は95.8%、がん患者でない人を正しくがん患者でないと識別する特異度も95.0%と、高い精度を示している。
しかし、15種類のがんの「どれかがある」とは判定できるが、がん種やステージまでは判定できない。もし、がんの疑いがあるとの判定が出た場合は、5大がん検診を受けるなどのステップに進むが、そこで部位やステージが確定するとは限らないのだ。
現在、この課題を克服すべく線虫の遺伝子を組み替え、がん種を特定できる固体の開発が進められている。すでに、すい臓がんをターゲットにした「特殊線虫」ができているという。
わずか尿1滴だけで苦痛がなく低コストで受けられるがん検査を、まずスクリーニングとして受診し、その結果が陽性なら次の段階の検査に進む。定期的にこの検査を受け、ある時点で陽性になったとしても早期がんであるため、生存の可能性はきわめて高くなる。
日本はほかの先進国と比較してがん検診受診率が低く、3割程度にとどまっている。がんが進行してから治療を受ける場合、死亡率が高くなり、健康寿命を損なう上、高額の治療費が費やされるわけだから、やはりがんの早期発見の価値は大きい。
がん検査の最先端を行くマイクロRNA
一方、血液1滴から13種類のがんを99%の精度で2時間以内に検出する技術の実用化も間近となっている。
血液中に含まれる「マイクロRNA」と呼ぶ分子を調べることで、がんを検出するこの技術は、国立がん研究センターが中心となり、2014~18年に実施されたプロジェクト「体液中マイクロRNA測定技術基盤開発」の成果をベースに、東京医科大学、国立がん研究センター研究所との共同研究によって確立された。
13種いずれかのがんの有無について、簡便かつ高精度に検出するこのスクリーニング検査に、東芝が新たに開発したマイクロRNA検出技術とそのためのデバイスを融合させたことで、実用化の道が開けた。今後、東京医科大学の落谷孝広教授らが中心となって20年から実証試験を実施する予定だ。
マイクロRNAは20個前後の塩基から構成され、遺伝子の発現を調節するRNA(リボ核酸)だ。人間の体内に2000種類以上が存在する。近年、がん細胞間の情報伝達を司るエクソソームに内包されているマイクロRNAは、がんの増悪や転移に深くかかわっているため、がん医療の分野で高い関心を集めている。
東芝が今回開発した検査技術の価格は、2万円以下を想定。現時点では13種類のがん種やステージを個別に識別できるわけではない。線虫を利用した「N-NOSE」と同様に、将来的にはがん種やステージを特定できるようにすることが最大の課題となる。
もちろん、こうした検査技術の開発にしのぎを削るのは日本だけではない。
一昨年、米ジョンズ・ホプキンス大学キンメルがんセンターのジョシュア・コーエン氏らの研究グループは、1回の血液検査だけで8種類のがんの有無を判定し、がんの位置も特定できる新たな検査法「CancerSEEK」を開発したと発表した。
発表によれば、乳房、大腸、肺、卵巣、すい臓、胃、肝臓、食道の8種類のがん(ステージ1~3)がある患者1005人を対象に、CancerSEEKを行ったところ、33~98%の確率でがんを発見できた。さらに、有効なスクリーニング検査法がない5種類(卵巣、肝臓、胃、すい臓、食道)のがんも69~98%の高精度で発見できた。
この研究もやはり、がん細胞が分泌する「マイクロRNA」に着目した検査技術だ。
リキッドバイオプシーは、がんの医療体系そのものを変える
血液や尿、唾液などの体液サンプルでがんを診断する「リキッドバイオプシー」は、がんを早期段階で発見、あるいは治療後の再発の兆候を捉える新しいバイオマーカーになると期待されている。その最有力候補がマイクロRNAといえるかもしれない。
現在、がんの確定診断は主に3つの手法を併用して行われている。がん組織の一部を採取するバイオプシー(生体診断)、CT検査によって腫瘍の大きさを評価する画像診断、血清のタンパク濃度を測定する腫瘍マーカーだ。
だが、バイオプシー(生体診断)は、患者の精神的・肉体的ストレスが少なくない。CT検査による画像診断は数カ月間隔で実施するため、がんの大きさの変化の推移をリアルタイムに把握しにくいことから、治療の奏功率を正確に判断できない。腫瘍マーカーは、ほかの炎症などによっても数値が上昇するため、がんの大きさや病態との関連性を掴みにくく、確定診断を困難にしている。さらに、がん検診でしばしば使われるPET(陽電子放射断層撮影)は10万円程度と高額だ。
このような多難な課題を克服するのが、リキッドバイオプシーだ。低侵襲の診断法として大きな意味を持つリキッドバイオプシーが、医療費増加を抑制しつつプレシジョン医療(個別医療)に及ぼす影響とそのメリットを早くから強調していた中村祐輔医師(当時はシカゴ大学教授、現在はがん研究会がんプレシジョン医療研究センター所長)はリキッドバイプシーの可能性について、次のように語る。
「医療費の増加が必然の高齢化社会を乗り切るためには、ゲノム情報などを利用したプレシジョン医療が絶対的に必要だ。がんに限らず、病気の予防(ヘルスケア)、早期発見・早期治療は医療費の削減につながるはずだ。特にリキッドバイプシーは、がんの医療体系を変える」
低侵襲の診断法のリキッドバイオプシーのメリットを整理すると、(1)がんのスクリーニング、(2)がんの再発モニタリング、(3)がんの治療効果(薬物療法・免疫療法)の判定、(4)治療薬耐性の判定、などとなるが、中村医師はブログで次のように説明している。
「日本でリキッドバイオプシーの話をすると、聞きかじりの知識で難癖をつける研究者や医師が多い。検出できない30~40%はどうするのだという声が、幻聴のように聞こえてきそうだ。
ベストでなく、欠けていることを挙げつらって自分は偉いと自己満足しているだけで、今よりベターであることを判断できないのだ。自分ができないことを他人がやると面白くないと思う潜在意識が、科学的に評価する目を曇らせている。ある意味では、日本で伝統的に培われた文化なのかもしれない。
この方法が臨床現場で確立されれば、がんのスクリーニング体制が大きく変わるし、血液採取で済むだけなので、当然ながらスクリーニング受診率は一気に向上すると思われる。さらに、超早期再発発見・超早期治療が治癒率を上げる可能性を秘めているのだ」(『中村祐輔のシカゴ便り』http://yusukenakamura.hatenablog.com//より)
わずかな尿や血液から、がんやほかの疾患の可能性をいち早く知ることのできる新しい検査技術は、もちろん課題もある。「がんの早期発見は過剰治療の懸念がある」「がんの可能性を告げられ、部位もステージもわからないままでは精神的な負担が大きい」といった指摘もある。しかし、リキッドバイオプシーによる検査技術の確立は、日々進歩し続けている。課題の克服とともに、より多くの恩恵を生み出すことができるのではないだろうか。
(文=ヘルスプレス編集部)