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三浦展「繁華街の昔を歩く」

五反田、その知られざるおもしろい100年の歴史…屈指の花街から一大歓楽街へ

文=三浦展/カルチャースタディーズ研究所代表

スナックホテル

 最近はスナックブームらしい。私はあまり行ったことがないが、ネットでいろいろ調べると五反田のビジネスホテルに、地下1階から地上2階までがすべてスナックや小料理屋で、地上3階から上がホテルという変わったものがあると知り、行ってみた。

 五反田といえば、新宿、渋谷、池袋という3大ターミナルに次ぐ規模の繁華街のひとつであり、山手線沿線では大塚、鶯谷と並ぶ歓楽街である。熟女パブやらなにやら各種の性風俗が揃っているらしい。
 
 そのスナックホテルに行ってみると、三角形の土地に三角形のホテルが建ち、3階までが吹き抜けで、その吹き抜けを囲むようにスナックなどがびっしり並んでいる。なるほどこれは壮観である。

五反田、その知られざるおもしろい100年の歴史…屈指の花街から一大歓楽街への画像1地下1階から2階までがスナックや居酒屋になっているビジネスホテル

 ためしに一軒のスナックに入った。年齢不詳のグラマーな女性がママ。最新のカラオケ設備を備え、歌うと点数が出る。歌を競って、ママより点数がよければ一杯おごってもらえるが、負けるとママにおごる。ところがママがうまいので、なかなか勝つことができない。熱くなりすぎると数千円が飛んでいく、という仕組み。

 2軒目は、小料理屋。できたばかりらしいが、女将は着物に割烹着で、料理も評判がいいそうなので、入ってみた。確かに料理はよさそうだ。日本酒を頼むと芸があるよと言われたので頼んだ。すると女将さんが、「ああーん、あふれちゃう、もっともっと!」といいながら一升瓶から酒をついでくれた。さすが五反田だ。

 アニメ声だったので、前の仕事はアニメ関係かと聞くと、熟女パブだという。さすが! 料理が得意で料理教室を開いていたが、晴れて自分の店を持ったのだそうだ。

五反田の歓楽街化の歴史

 ビジネスホテルの下がこういう状態だとは、なるほど五反田だ。でも、五反田はいつからこういう歓楽街になったのか。

 昭和4年(1929年)に刊行された松川二郎の『全国花街めぐり』によれば、当時の五反田は荒川区尾久と並んで最も急激な発展をした新しい花街だったそうだ。尾久と同様、鉱泉が発見されて温泉旅館ができ、そこに女性がはべるようになり、次第に花街となる。

 二業地(料亭、置屋)として認定されたのは大正10年(1921年)。東京市内各地から続々と芸者が集まってきたという。大正12年に関東大震災があり、東京の東側の下町は壊滅した。すると西側の五反田がさらに膨張し、大正14年に三業地(料亭、置屋プラス待合)として認定された。花街としては品川と渋谷の中間にあったことを地の利として生かした面もあった。芸者屋58軒、芸者220人、料理店25軒、待合45軒が栄えた。情緒はいまひとつだが、「郊外においては屈指の花街」と評価された。

三浦展/カルチャースタディーズ研究所代表

三浦展/カルチャースタディーズ研究所代表

82年 一橋大学社会学部卒業。(株)パルコ入社。マーケティング情報誌『アクロス』編集室勤務。
86年 同誌編集長。
90年 三菱総合研究所入社。
99年 「カルチャースタディーズ研究所」設立。
消費社会、家族、若者、階層、都市などの研究を踏まえ、新しい時代を予測し、社会デザインを提案している。
著書に、80万部のベストセラー『下流社会』のほか、主著として『第四の消費』『家族と幸福の戦後史』『ファスト風土化する日本』がある。
その他、近著として『データでわかる2030年の日本』『日本人はこれから何を買うのか?』『東京は郊外から消えていく!』『富裕層の財布』『日本の地価が3分の1になる!』『東京郊外の生存競争が始まった』『中高年シングルが日本を動かす』など多数。
カルチャースタディーズ研究所

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