先月、ある女性の借金トラブルをメディアが一斉に報じ、世間の注目を集めている。この女性は元婚約者の男性にお金を無心したとか、この男性が婚約解消後にお金の返済を要求しても、なしのつぶてだったとか報じられている。お金のやり取りをめぐって、もらったのか、借りたのかでもめたという話は珍しくない。双方にそれなりの言い分があるはずだ。また、この女性の夫が亡くなった後、生活費や子どもの学費を工面するのに苦労したことは想像に難くなく、そのあたりの事情を考慮すべきだとも思う。
もちろん、一連の報道が真実であるかは定かではないし、報道をもってこの女性が非難されるようなことは絶対にあってはならない。ただ、一連の報道から、ふとフロイトが<例外者>と名づけた性格類型が脳裏に浮かんだ。この女性が該当すると必ずしも断言できるわけではないが、精神科医としての臨床経験にもとづき、あくまでも一般論として<例外者>について解説したい。
<例外者>
<例外者>とは、自分には「例外」を要求する権利があるという思いが確信にまで強まっているタイプである。もちろん、フロイトが指摘しているように、「人間が誰でも、自分はそのような『例外』だと思い込みたがること、そして他人と違う特権を認められたがるものであることには疑問の余地がない」。だから、この思い込みが人一倍強いだけなのだが、そう思い込むには、少なくとも自分で納得できるだけの特別な理由がなければならない。
こうした理由は、子どもの頃に味わった体験や苦悩と結びついていることが多い。本人は、「自分はもう十分に苦しんできたし、不自由な思いをしてきた」と思っているので、次のような思考回路に陥りやすい。
「これはひどく不公正なことだ。人生は私に損害賠償をする義務がある。私は賠償を取り立てる。私には自分が<例外者>であることを要求する権利がある。普通の人が遠慮するようなことでも、実行する権利があるはずだ」
何を「不公正」と感じるかは人それぞれである。容姿に恵まれなかった、貧困家庭に生まれた、親に愛されなかった、大災害に遭遇した……など、本人が不利益をこうむったと感じ、運命を恨む権利があると考えれば、それが自分は<例外者>だという思い込みにつながりやすい。